クビキリサイクル


独特な言語表現が大きな魅力を占めるという作品の性質から、映像化は不可能と言われていた西尾維新化物語』が、知らぬ間にアニメ化されていた。
最初数話だけ見てみたら、文字や実写とアニメの融合がかなり良くできているので、原作と比べてみることにした。
「感覚の共有」ということを、こういう作品を見ると考えさせられる。
秋葉原の文化と本郷の文化は、きっと結構近い。
そこから敷衍して、「感覚の共有」だけを原理とする、開かれたコミュニティのあり方を漠然と模索している。
そもそも「感覚の共有」とはどういう現象なのか?
ポパー読んでいるのだが眠くてたまらないので原著買おうかな。
開かれた社会とその敵 第1部 プラトンの呪文