#113 村人と世界

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【 通称「ツナミ」と呼ばれる韓国ソウル市新庁舎のデザインが問題に 】
http://alfalfalfa.com/archives/6912951.html

これはすごいブビブビズム*1
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たとえば韓国でのナムジュン・パイクの扱いをみると、いろいろ考えさせられる。
彼は世界最高の韓国人芸術家か、それとも苦しい時期に韓国を出た悪徳資本家か。
国外の人からしたら、たぶん「韓国出身の世界的芸術家」になるのだが、国内の人にとって、この言い方は難しい。
そこには、村人の視点と世界的な視点の差がある。
今、彼のつくった主要な作品は、国立現代美術館というところにある。
ソウルの町はずれの丘の上に巨大な空間がつくられて、伝説の王の墓みたいに祀られている。
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ある町に住んでいる2種類の人々について。
「素朴な村人」があんまり多いと、あたたかく受け入れてもらえるけれど話が通じない。
「ひねくれた都会人」があんまり多いと、冷笑的な批判ばかりになる。
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この話に関係して。
○○さんというジャズピアニストとの関わり方がよくわからない。
彼女は、うちのオヤジの上司の娘さんで、しかも事務所が火事になったときの同僚だから、○○さんとうちのオヤジは今でも仲が良くて、何度かお宅にあがって彼女のピアノを聴かせてもらったことがある。
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とはいえ演奏について、おれはいいとは思わず。
まぁ技術はあると思うし、彼女がお堅い地元ピアノ講師の連中から「基礎がない!」「ミスタッチが多い!」「リズムが不正確だ!」って散々けなされてもメゲずにジャズの道にすすみ、自分の居場所をつくったことは知っていて、それはすごいと思うけれど。
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村人の視点と世界的な視点を、どう重ねあわせていったらいいものか。
というか、「世界的な視点」というものが今やなんだかわからなくなってきている。
伝統的には、それは大都会の権威筋からの評価だった。
新聞の記事。テレビのニュース。雑誌の評論。
20世紀にそれはマスメディアを通して世界中にひろく浸透した。
ところが、たとえば Asobi Seksu ってバンドの人がこないだ I knew NYC has been getting less cool by the second....Goodbye Lou Reed. って呟いていたように、大都会の威光が昨今かげりを見せつつある。
たぶん、これにはインターネットと経済活動の多極化が関わっている。
個人的には、スーザン・ソンタグが交通整理していたころのNYとか、浅田彰が交通整理していたころの京都とか、「浜崎あゆみってアーティストは実は12人組(衣装係、化粧係、時計係..)なの!」って言ってたころの東京とか、そういう胡散臭い大都会の魅力というものは、よくわかっているつもりだが。
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一方で、新しいメディアは、新しい村 alternative commune の建設にかかわっている。
Facebookとか2ちゃんねるとか、Pitchforkとか、ニコニコ動画とか、どこ見てもそうだ。
これからの世界というものは、さまざまな村人の視点が交錯する接点に、かろうじて出現するようなものになるのだろうか。

*1:「ブビブビズム」は造語。韓国のクラブでは、男が知らない女のうしろに急にまとわりつく「ブビブビ行為」がよく見られるが、そこに典型的にあらわれている、「自分の情熱のままに動き、他の人の感情がわからない」という人間のあり方を指す。