#83 退屈のさばき方

1
本屋さんへいって、田辺元『種の論理』という本を手に取ってはまた棚に返して、そんなことを10回は繰り返した。
このごろ、「種」という概念についての考えが立ちはだかる。
たとえば「あの人はベルリンの人です」と言うとき、この文には、どのくらいの重きを置いたらいいか。
...というような疑問が、このごろ、繰り返しあらわれる。

2
すべては退屈のさばき方だと思う。
10代の頃とくらべると、どうしようもなく気が滅入ることが、めっきり減った。
人柄が変わったとかいうことは、一切ないと思う。
何がかわったか?というと、そういう気配を感じたときは、散歩したり皿を洗ったり、いつものウェブサイトを巡回したり、部屋のホコリを拭きとったり、茶を飲んだり、要するに、退屈のさばき方がうまくなった。
思考がとまって、しかし何ごとか考え込んでしまうとき、だいたい「人生はつまらない」という結論にいたる。
そういうときは、考えるということをせず、決まりきったことをしたら気がまぎれる。
アルベルト・モラヴィアではないが、食文化、茶の湯とか味噌づくりとか、魚をさばくこととか、ああいうものは、すべて退屈のさばき方なのだろう。とても高度ではあるが。
そしてまた、思考というやつが、たくさんの海の幸を船いっぱいに積み込んで、港にもどってくる日を待てばいい。