#67 歴史?

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文化現象についての歴史というものをどう考えたらよいか?
先日ジャズが好きという30代の東京の人と話したら山下洋輔の名を知らなくておどろいた。
その後すかさず「彼の世界的な知名度はどのくらい?」と聞かれたとき、こちらが答えられなくて、ちょっと考えさせられた。

2
「世界的な知名度」というものを、どう考えたらよいか。
大衆娯楽の場合はマスメディアや店頭での露出度、レコードの売上、動画の再生回数のようなもので測れるだろうけれど、もっと客層のせまいものについては、客観的な知名度のようなものは、まぁゴシップとしてのみ現れるだろう。
あのミュージシャンがまた麻薬でつかまった、とか。

3
こういった無知は世間のいたるところにあって、これにはメディア環境が関係しているだろう。
たとえば、人々を生まれた年で5-10年ごとに区切る「世代」という概念、「あたしたちプリプリ世代だから」というやつは、同世代の人々が同じ音や光をみていたという体験がもとになっていて、だから、それは音声や画像を複製する技術の普及したメディア環境を前提としている。
こうしたメディア環境では、過去はごちゃごちゃの倉庫に押し込まれ、あるいは捨てられて、現在というものが絶えず更新されて流れていく。

大多亮 【 フジテレビ・トップが求める人物像 】
http://bit.ly/12lPiVl

テレビはただの現在にすぎない。
このような、テレビ的な、または最近ならソーシャル・ネットワーク的な情報の流れ方に違和感はあるけれど、無気力なまま生きるにはテレビは素晴らしい人生の友だ。ボタンを押せば旬のタレントと馴染みの連中が顔を出す。

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とはいえ、この社会にいる全員が記憶喪失に陥っているかというとそうではなくて、マニアや蒐集家と呼ばれる一部の人は、こうやって流れていく情報のうち自分の気になるものを分類して保存することに情熱を燃やしていて、彼らの倉庫には膨大なコレクションが眠っている。
彼らはこの情報洪水のなかの数少ない良心であり頼りになる水先案内人である、と、果たして本当にそう言えるだろうか。
たとえば、ジャズ評論家を名乗る整形外科医が、60年代にジャズマンの誰それがニューヨークの何番地でどんな話をした、という逸話を語るラジオ番組というのが今でも毎週放送されているのだが、そういうものにどんな意味があるのか。
うまく言えないけど、どうも、変だなあ。
「そこに特別な人たちがいた」ってハァハァしたいだけのような。
それが恋だといわれたら、ハァそうですかとは思う。
過去の神話化とでも言っておこう。

5
昔のうたというのは、芸者が座敷で聴かせたり坊さんが念仏をとなえたりしたもので、世界中みんな知ってる流行歌というものができたのは、グラモフォンができてから。

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このごろ歴史家の自伝というものを、おもしろがって読んでいる。
私と西洋史研究:歴史家の役割