#66 残った部分に意味があるか?

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御茶ノ水に街歩き拠点「お茶ナビゲート」−散歩地図作成や古地図・古写真閲覧など 】
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どうも近頃、都心でもスジのわるい公共事業が目立つような気がする。
今月末には、小石川後楽園の外周を夜通しぐるぐる回るイベントが開かれるらしい。

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まちおこし」のような曖昧な目的のために出てきた手段について、スジがわるいことを理由につぶすのは、簡単なようで意外と難しそうだ。
目的が曖昧なので手段を合目的性で評価できない。
結局、スジがよくて政治的な駆け引きのうまい人が決定権を握るかどうか、運次第ってのが実情かな。

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曖昧な目的のための手段が合目的であるかどうか、判断するヒントになるのは...
「ひとりずつ具体的に利得を得た人を挙げてみて、残った部分に意味があるか?」というのはどうだろう?
往々にして、 Win-Win (誰かの行動によって2種類以上の関係者に利得が生じること)な行動からは、外部に Lose (負の外部性:誰かの行動によって直接関係ない者が損害をこうむること)が排出される。
これを防ぐために、「1人目:Win」, 「2人目:Win」... というように、ひとりずつ具体的に利得を得た人を挙げてみて、残った部分が Win なのか Lose なのか、によって手段の合目的性を評価してみたら?
曖昧だった目的がずいぶんハッキリするし、ちょっとは目的に合った手段が選ばれるようになるのではなかろうか。
さっきの例なら、「企画したNPOの人は金が儲かる」「企画した区役所の人は評価が上がる」「参加した学生ボランティアは自己満足できる」... というように、えげつないほど自己満な連中を名指ししていって、残った部分に意味があると判断するなら、やればいい。