#55 擬人化された記号

1

NHK気象予報士 カレンダー 2013年

NHK気象予報士 カレンダー 2013年

井田寛子気象キャスターになりたい人に伝えたいこと』って本をたちよみ。
著者は、つくば→薬の営業→テレビ地方局→お天気お姉さん。
仕事をしながら残りの時間をすべて資格試験にささげた苦労話。
こういう雑用のどこが楽しいのか積年の謎なのだが、人の役に立ってると思うことには快感があるようだ。
あと、刻々と変わるお天気を無数の人々に伝えることが楽しいというのは、こないだ書いたような意味で、「現代」の中心に立っているような気がして楽しいのかな。
競馬実況の講談師がその日の出来事を読み上げるテレビ番組を毎晩15%もの人が楽しみにしている、ああいう「現代」の情景。

2
そもそも、人の生きてきたありようを「→」という記号であらわすこと自体、ひどい単純化なんだけど、産業化された人生って、そういうものだから...

3
今この国で人々のやっているいろいろな仕事が、外国人、機械、コンピュータに取って代わられようとしている。
この傾向がすすんだ果てに、おそらく何が残るかというと、「擬人化された記号」という役割だろう。
これは、典型的には、マス・メディアに出てくる芸能人だ。
たとえば明日の天気を知りたいとき、コンピュータから出された無表情な数字の羅列より、それを読み上げてくれる天気予報のお姉さんの顔を見て声を聴くほうが安心できる、というようなことがある。

4
最近はじまったwebサービスに、パソコンで検索した文字列を手がかりに最新のニュース(というかインターネット上の新規書き込み)を並べ替えてくれるものがある。
たとえば、なんとなく調べたくなって、検索エンジンに「銚子」と打ち込んだら、翌日のニュースには銚子の天気が出てくる、というもの。お銚子と徳利のグッドデザインが出てくるかもしれないが。
しかもこのサービスには機械学習という仕掛けがついていて、配信されたニュースのなかで実際に読んだものの文字列を手がかりに、だんだんこちらの興味のある順にニュースを選んでくれるようになるらしい。
新聞記者も編集者もいない、ワタシだけのためのニュースが、常時配信される。
これは、さすがに、不気味すぎる。
どう見ても、P.K.ディック原作、スタンリー・キューブリック演出の世界だ。

5
いや、擬人化された記号という役割も、人間がやる必要はないな。
たとえばニュースを読み上げる役割を、バナナマンの日村ではなく「くまモン」がやっても、同じだわね。
充分に親しみやすいインタフェースをはさめば、この役割も、コンピュータが代替できる。
アイドルを、スポーツ選手を、将棋の棋士を、美術教師を、サイコセラピストを、作曲家を、小説家を、裁判官を、すべてコンピュータが代替する未来...

6
これでは、まったくロマンがない。あまりにもシステマチックだ。
複製技術時代の芸術作品、ならぬ、複製技術時代の人間存在、というものが、謎として出現する。
生身の人間と、擬人化された記号のあいだには、ほんとのところ、どんな違いがあるだろう?