#9 フジパン

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朝、マクドナルドでパンが来るのを待っていた。
店長の作業風景をみていたら、魂が擦り切れるような、どうにも辛い仕事だと思った。機械のように言われた仕事をチョコマカこなして、しかも仕事は終わりなく大量にあって、しかし「この仕事には何の意味があるのか」という疑問がつきまとう。
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しばらくしてフジパンのトラックが来た。
東京地区のマックのパンは、フジパンから供給されているらしい。
ここにもしんどい労働と、そこに何の意味があるのかよくわからん状態があるようだ。
http://www.logsoku.com/r/part/1298356314/
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この社会のなかで、それぞれの人が自分の生きる意味があると思うためには、一元的な価値観より多元的価値を尊重するほうがいい、という議論がある(I.バーリン『自由論』とか)。
たとえば、金こそすべてという考え方がある一方で、金がすべてじゃなく職人技の鍛錬とその実践が何より大切、音楽・美術・文学など芸術作品のよいものを作るのが何より大切、あるいは、幸せな家族をきずくことが何より大切、腹を割って話せる仲間がいることが何より大切...他にもいくつかの*1価値観がある。それらは互いに独立している*2。価値観が複数あることによって、いろんな形で誇らしく生きることができる人々がいる。
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しかし、いろんな多元的価値の網をもってしても「しょぼい仕事」に分類される仕事というのは、今のところ、どんな社会にもある。一時的な小遣い稼ぎ。「あんなもん長くやる仕事じゃねぇな」と、社会のほとんど全員から見られている。
アメリカ型の社会では、そういう「汚れ仕事」と言われるものは移民が請け負って「次の世代にはもっと誇らしい仕事をやらせよう」と子供に夢を託すのが基本になっている。*3戦後はヨーロッパの大国でも、東欧・中東・アフリカからの移民によって、同じメカニズムが使われるようになった。
このメカニズムが作動する条件は、移民が絶え間なく流入することと、「誇らしい仕事」の労働供給が充分に行われることだ。
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移民が流入しなくなったとき、あるいは「誇らしい仕事」の枠が足りなくなったとき、どうするか?人心が荒廃するままになるのか?あるいは総力戦でもやって、「おれたちによる世界制覇」みたいな、急ごしらえの「誇らしい仕事」に人々を総動員するのか?
ひとつの手がかりとして、最澄天台宗のおしえは、「一隅を照らす」ことに意味を与える。
http://ichigu.net/person/index.html
とはいえ、これはなんとなくきれいごとに思える。
それは、最澄天台宗のおしえが、というより宗教・信仰というものが一般に、道徳的一元主義だからだ。
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このあたりの関心からI.バーリンと宗教思想をつきあわせてみたら、何が考えつくだろう?

*1:「無数に」、ではない。おそらく。

*2:目的-手段のかたちで、ある価値観が別の価値観に従属していることはあるけれど。「幸せな家族をきずくためには、お金が必要」というような。

*3:戦後日本では、国民ほぼ全員が食うこともままならない奈落の底に叩き落とされた、という意味では、ほぼ全員がここで言う「移民」になった、と言えるかもしれない。「未来は今より良くなる」と人々が考えることで「汚れ仕事」もいとわず人々が努力した、と大雑把には言えるだろう。