ハイデガーの講演会

1
分析的でない思考について考えてみたくて、このごろ美術論の古典をちょっとずつ読んでる。今夜はハイデガーについての講演会を聴いてきた。
2
ハイデガー『芸術作品の根源』という本は、今もドイツ語圏で芸術家として身を立てようとする人なら、ほぼ間違いなく読んでいるらしい...ちょっと強引にたとえるなら、日本語圏なら九鬼周造『「いき」の構造』・谷崎潤一郎『陰影礼賛』あたりの知名度かな。
3
ドイツ語は名詞が「立ってる」ように思った。
4
ハイデガーは詩的である。
5
詩的な思考に「ぐっとくる」状態を私はどう扱うか迷う。
私は俗流人生論のような浪花節のような偏屈なおっさんの居酒屋談義のようなネトネトした話を心底きらっているのだが、分析的な思考だけでは息が詰まる。そういうとき、詩的な思考は、泉、おいしい水を飲ませてくれる泉としてあらわれる。
6
講師は落語家のような喋りだった。軽い口調でざっくり概要をおしえてくれる。"W@SEDA""バンカラ""人生劇場"というところで長年おしえると、あのようになるのか。わかりやすくて助かる。しかし、あのような与太噺をいくつか聴いただけで学問を終える人々って、何だろう?と思った。社会生活では、そのうち色々ひどい目に遭って、「見たくもないもの」ばかりになって何も見られなくなってしまうよ...

【2012-09-05 [日記] 見たくもないものを見る】
(http://d.hatena.ne.jp/soraniukabuniji/20120905)