見たくもないものを見る

人は毎日いろんなものから逃げてる。
・年とった人は、自分のやりたかった分野で同時代に活躍した人の伝記をみるのが辛いという。
・貧しい人は、自分にはきっと行かれないであろう外国の風景や貴族的な生活を取材した旅番組をみるのが辛いという。
・学校でひどい目にあった人は...
・工場でひどい目にあった人は...
・農村でひどい目にあった人は...
・団地でひどい目にあった人は...
・全然もてない人は...
こうした視差のようなものがあって...
見たくもない、思い出したくもないものを人それぞれ抱えていて、それがわだかまって、人生の悩み・社会問題になっている*1。無関心とはこうした記憶の裏返しなのかな。あるいは、人生相談とは、このように誰かが逃げていることについて、他の人がそれをやさしく指摘することなのかな。

國分功一郎 ‏@lethal_notion twitterより
俺はサンデルという哲学者は好きだけど、彼が例に出す、電車を動かして1人殺すか5人殺すか、とかいったたとえ話は大嫌いだ。あれこそ一般的な悩み=問題である。一般的なものには答えられない。悩み=問題というのは常に特異的なのである。特異的なものには介入の可能性があるのだ。

國分功一郎 ‏@lethal_notion twitterより
「実際に悩んでいる」というのは、別に深く悩んでいるとかそういうことじゃなくて、単に虚構じゃないという意味です。多分、虚構された人生相談というのには乗れない。乗ったとしてもつまらない答えになる。これは重要な話です。悩み、あるいは問題というのは常に具体的であるということ。

*1:社会心理学ではこれを「認知的不協和」というらしい。