パラリンピックはアナーキー


パラリンピックを紹介するテレビを見た。南アフリカのピストリウスって義足の陸上選手がすごく速くて「ブレードランナー」と呼ばれているらしい。アナーキーな感じ。熱い。
アナーキーというのは大切な概念だ。阿部和重という小説家がエッセイのようなものを新刊で出したのを立ちよみした。ヤンキーとサブカルという2つの文化は対立しがちだが、私は両方をあわせもっていると彼は言う。重なるところがあるとしたら、アナーキーだろう*1
この話を精密に理論化するならクロポトキンやら何やら古典をよまねばなるまいが、早い話、アナーキズムとは相互扶助をもとにした無政府主義だ。官僚制を打倒するなら認識論としてはこの立場になるが、ひとつ注意すべきことがある。実は、アナーキズムは、特に、完成度の高い仕組みのもとでは、官僚制に利用されやすい。
たとえば原発の仕事を請け負う工務店の人たちの悲壮な覚悟のようなものは、家族や仲間を守りたい気持ちをもとにしているようだが、それは、結果的に、ああいうシステムを食いものにしている官僚制の持続に役立ってる。 *2

*1:もうひとつ幼児性という共通点もあるが...

*2:「しかし、国家を批判しようという試みは、結局はその代替となるものを裏口から導入してしまう・・・」 http://d.hatena.ne.jp/akehyon/20061012