外部観察者

昔の友人と長話をした。
人々の振る舞いを論じるときには、記述的な論(xxである)と規範的な論(xxであるべき)があるね。って話が、個人的につよく印象にのこった。
外部観察者*1の論考は、記述的であることに徹するべきで、手前勝手に規範的な論をぶちあげてはいけない。
もっと言うと、現実離れした規範的な論を外から持ちこんで、内部の人を振り回したり服従させたり誘導したり窮屈を強いたりするのは、もってのほか。禁じ手。*2
いろいろ話して、すっきりしたというか、私にとっての関心の焦点が今日うまく合ったように思う。
これでしばらく生きていられそうだ。*3

*1:この場合、ある意志決定に対して利害が中立な者をさす。

*2:近代の法システムとか、間接民主政とか、マスメディアとか、社会工学とか、インセンティヴ・コントロールとか、どうなんだろう?人々が言葉を奪われているというか、人為的・人工的につくられた環境を自然と思うように操作されている感じがする。

*3:ああいう友人あるいは伴侶がいれば、私はどこでも、かなりの田舎でも生きていけるだろうと思った。