あずま歌


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前近代の東国の農村って、おそろしい。今は亡き祖父について、本家の次男ときいていたが、実は三男で、ほんとは別に次男だった人がいたらしい。彼は10代のころ小さな諍いによって本家から勘当され、裸一貫で東京へ出て、運送業で身を立てたそうだ。
2
彼は近親縁者との面会をすべて禁じられ、亡くなったときも、跡取り息子(つまり長男)の計らいによって、墓に入っていないし、葬儀には誰も行かなかったし、家系図からも抹消されているらしい。江戸は流民の町だったんだろう...
3
幼い頃たまに本家に連れていかれたけれど、そこの感じが私はほんとに嫌いだった。近親間での相互不信と見栄の張り合いがすごい。勤め先での地位・趣味分野での武勇伝・子供の学歴・スポーツや芸事での活躍・観光旅行の自慢・知り合い自慢...ずっとそんな話。
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これはうちの本家だけのことと思っていたら、そうでもないらしい。相州の農家の本家(名主とかそんな感じ)の長女が友人にいて、これについて彼女と話したら、雰囲気が似ていて、なるほど、それがこの地方の風習か、と合点がいった。「あずま歌なんてわたしは興味ない」と言い切っていたのが印象的だった。*1
5
たとえば網野善彦の文献をひもといてみたら違う話が出てくるかもしらんが、少なくとも儒教文化圏の農村を基礎にもつ家族のシステムにおいて、人類の歴史の大半は、このような人生ゲームに費やされていたのだろう。
6
「ここには何もない」と私が感じるのは、西欧近代の個人主義的な思考過程に私があまりにも馴染んでしまったから、かもしれない。儒教的な価値観と個人主義のあいだにあった、近親者への嫉妬を原動力とした立身出世主義は、近代化を達成する強力な労働者の速成のためには効率的だったのだろうけど、それはまるで軍隊みたいな社会をこの世にもたらした。

*1:ちょっと前の文学少女といわれた人々がきまって太宰を好んだ背景について見当がつくようになった。イエ社会の桎梏からの解放って寓話を太宰のなかに夢見ていたのだろう。