「長い江戸時代」の頑健さ


1
うちの実家の外壁がきれいに塗り替えられていた。
話をきくと、そこの親方は30代前半だとか。
中卒から叩き上げで修行して、10年つとめあげて職人として一本立ちして、信頼を少しずつ積み重ねて、若くして何人もの若者をつかう親方になったそうだ。
「いつでも一生懸命。ただそれだけです」
実用的な技能こそすべてな職人の気質。
あるいは、倹約と義理こそすべてな小作農民の気質。
人心掌握と飾りもののスノビズムこそすべてな地主農民の気質。
こういう気質の人々が組み合わさった社会は、きわめて頑健だ。
日本のいなかの力強い面って、ここにあると思う。*1
2
地元の評判は嘘をつかない。
たとえば、地元で評判の塗装屋があるとして、スーパーやゴミ捨て場などで近所の誰にきいても評判がよければ、腕はたしかだ。
広告は嘘をつくことがあるけれど、地元の評判は嘘をつかない。
実用的な技能を売りにする職人(建築関係・医療関係...)の腕前を評価するには、これが一番の仕組みだろう。*2
3
近所の生協で働いていたおっちゃんが自宅を改装して居酒屋をはじめたらしい。これが社会主義の実践か。
いなかの社会運動って謎だ。「平和のつどい」みたいなものを禅寺でやっていたりする。
一言でいうと、それは理論的ではなく実践的なのだ。*3

*1:退屈だし、めんどくさいけどね。

*2:逆に、実用的な技能以外のことは世間の評判では評価できない。ここに理論的思考を入れる余地がある。

*3:理論は中央で開発して、地方は実践だけを担う、って分業体制ができあがっているのかな。いなかの社会運動家のやっていることは、「正しさ」「良さ」って価値基準からすると、普遍妥当性は低くて、私はそれを物足りないと思う。