Do you go anywhere today?

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六本木ABCという本屋にいったら、篠原雅武『全―生活論』という、なんともいえぬ本があった。
なんかとても大切なことに触れているような気がした。
現代の社会生活の現実や理想について明快に理論化できているとは全くおもわんが。つまり「これを読めば今日から何をすればいいかわかる」というような行動の指針を読者にあたえる実践的なマニュアルとしては、この本は、まったく機能しないだろう。
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これについて、たとえば、橋本努のような、「本の中身を整理しました」みたいな論じかたはありうるが、別なふうに考えたいと思う。この本は完成品のパッケージではないから。
http://bit.ly/OfbBq0
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あるいは、山形浩生のような罵倒書評もありうるが、それでは、せっかくこれが世に出た意味が台無しになる。山形のような語りかたは、もしかしたら、人々の言葉を奪うほうに作用しているのではないか?
http://bit.ly/JHPMKP
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ざっと読むと、現代社会における「空間の荒廃」と「生活の失調」のふたつが話のもとにあるようだ。それは直観的に、とてもよくわかるし、わかる人は私のほかにもけっこういると思う。では、これは何なのか?って、モヤモヤしているけれど、人と話したりして、じっくり話を広げていくのがいいと思う。
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現代日本・欧州・北米の正統的な理論体系をまなぶ/まねぶことについて、溜め息のようなものがある。
たとえば、コンピュータの前でプログラムを書いているだけの数理生態学者、のような人がリバタリアン(でもリベラリストでも結局どれでも同じだが)としてマクロ経済・社会政策を語り、それが制度として採用される、というようなありかたに、非常につよい違和感がある。*1

彼らの活動は、人々の言葉を奪うほうに作用している、と言える。
そして、それに対するいろんな考えが、たとえば20世紀後半のフランス現代思想だったのだが、事実や論証のまちがいさがしが色々おこなわれて、わくわくした気持ちがだんだん枯れてきて、今に至る、ってところか。

*1:もともと政治なんて正解はなくて、特に金の分配なんて、どうやろうがそれを正当化する理屈をつくることはできる。だから誰が何をいったっていいのだけれど、今はそこに「王道」「邪道」みたいなものがあって、あんまり既存の文脈を踏みはずしたことを言ったら、わけのわからん人だと顰蹙を買う。ここにも、あの「空気」なる怪物が顔を出している。だから、人々は、何かを言うとき、ちょっと怯えたような表情をみせる。裏付けはないけど、こないだ、そんなことを思った。