LOST IN AMERICA

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佐藤俊樹社会学の方法』って本をめくって、Robert King Merton という人の伝記のようなものを読んで、ぼんやりしていたら、あることに気づいた。
New Jearseyにある日本人学校のせんせいのブログに、気になることが書いてあって、2つの話は符合している。

アメリカ)社会全体の競争システムが『良く出来過ぎて』いるために、究極の敗者を生んでしまう、その結果として究極の敗者を社会全体が『いじめる』形になってしまう形になってしまうという問題です。*1
http://bit.ly/Mi3bLs

アメリカのいちばん不気味な点って、ここだと思う。社会の上層を、現代日本語で言う「内申点のいいやつ」が牛耳っていて、それが、南米に突撃したり、広島に突撃したり、ドレスデンに突撃したり、ベトナムに突撃したり、イラクに突撃したり、金融システムに突撃したり、というような、たとえば彼らが国際政治や国際経済の領域でみせる、あの奇妙な平板さにつながっているのでは?という気がする。

The Best and the Brightest

The Best and the Brightest

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例のNY帰りのDJが、VOGUEに出てたモデルの黒人の子とつきあっていたらしい。ハイ・ファッション・モデルになりたい女の子って、ニュージャージーとかアフリカとかブラジルとか、いなかから出てきて、服を買ったり役所に書類を出したり、初期投資がいろいろ掛かるから、芸能事務所から金を前借りして、女子寮みたいになってる高層マンションの二段ベッドみたいな部屋に住むらしい。女同士の小競り合いがはげしくて、それはそれで苦い話だが、もっと苦笑いさせられたのは、背後に弁護士やら代理人やら、コロンビア卒のいろんなエリート連中がついてきて、しゃちこばった感じになっているのだが、「結局やってることは吉原と一緒」というのは明らかで、それに気づいたとき、彼はアメリカって何だろう?と思ったという。女の子にしても、ハイ・ファッションの分野で求められる「美女」の像って、ハイ・スクールで一般的にモテる「豊満な体」みたいなものとはかけ離れていて、だから、それまで「病気の子」みたいなふうに見られて隅のほうにいた女の子がモデルになるから、都会に出てきて急にチヤホヤされて、自分を見失うことが多いらしい。これはこれでLost in Translationといったところか。

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この話の結論は、ひとまず、複数の言語ゲームのあいだの翻訳者はつねに必要、というあたりかな。
それは物語なり小説なり、フィクションの領域だろうか?
それは自動翻訳機のように機械化できるかな?

*1:ただ、この人はこのブログの別の回に「日本の学校の入学試験もアメリカのように全人格評価にするべき」と言っていて、持論がぶれているようにも見える。