うっとうしさMEGAMAX

1
地元の国立大学を出て市役所2年目のイトコが同期の人と結婚するらしい。
結婚式に呼ばれたのだが、うっとうしさMAXだ。
アニメ好き・ユニクロ好き・祭好き・エスパルス好き・都会嫌い・ファッション嫌い・ネトウヨ・旧日本軍の戦艦プラモデル作りが趣味の、いなかを形にしたような男。
もっと狭く言うなら、90年代以降の日本がJ-POPとかJリーグとかできて「J」という文化圏になったあとの政治・経済・社会・文化の状態にちょうど適応しているような男。
「J」という文字は、日本列島の形に似ていて、象形文字としても具合がいいね。
「J男」
私は実存的な審問にさらされることが確定している。
2
そして、結婚相手が枡田絵理奈アナみたいなアヒル口のちょっとかわいい子なのがまた悩ましい。
「真冬のデートで行ったいちご狩りたのしかったです」みたいな感じなんだろうな。
うっとうしさMEGAMAXである。
3
ふと2つの文が脳裏をよぎった。
「私が思ってるほど人生なんて楽しいもんじゃない」
「私が思ってるほど世界なんて奥深いもんじゃない」
これはたぶん違う。
より正しく言えば、こんな感じかな。
「私と比べて、人生の楽しさ・この世界の奥深さをきわめて小さく見積もっている人々が多くいる。だから、こちらは、ちゃんと張りきっていないと、ひきずられそうになる」
難しい社会論なんか読んでいて、ふと街中で流れているテレビを見ると辛くなるような、あの感じ。
森永卓郎の新刊を必ず買う、自称経済通の父親と話したり。
韓国アイドルの追っかけに台湾までいく、自称国際人の母親と話したり。
クオリティあげていきましょう。
4
張り切って生きていこう。どのように?
Facebookという、あのうっとうしいサイトについて、NY帰りのDJは「自慢大会になっているのは日本語圏だけだ」と言った。NYのクラブ文化周辺では、主にイベントの告知や小ネタのやりとりに使われているらしい。「終わったイベントについて長々語っているのはFunnyだね」と。
5
楽しい人生にしようと思って張りきるとしても、張りきる方向は「リア充」ではなかろう。「リア充」という語をさかのぼって定義すると、「異質な人との相互作用(Interaktion)を熱心にやってる人・状態」といったところか。同質な仲間と『ザ・三名様』のようなことをして盛り上がっている人・状態と、他人と無関係に趣味に打ち込んでいる人・状態、この2つを切りはなして。
6
こうした人・状態が高く評価される・優れている人のやることとみなされる社会とは、どういうものか?
ひとつ考えられるのは、「リア充」のような人・状態(outgoing)がめずらしいという説。
逆に、「同質な仲間と『ザ・三名様』のようなことをして盛り上がっている人・状態」(homosocial)は多くて、「他人と無関係に趣味に打ち込んでいる人・状態」(otaku)も多い、なんかそんな気がする。