息がつまる

1
好きな映画はいろいろあるけれど、ひとりで見ていると「これは現実ではない」という思いにつきまとわれて、途中で息が詰まりそうになることがある。
2
では「現実」とは何だろう?
自分ひとりで何かをすることではなく、他の人との相互作用を行っている状態のことか?
リア充」という流行語は、明らかにこの意味で使われている。
それも、似た者同士でかたまっている状態ではなく、異なる性別の人、年齢の離れた人、遠い出身地の人、別の社会環境におかれた人...と、相互作用を行うこと、そんなところか。
3
いま定義した「現実」の一例。
高校の知り合いが、今すんでる東京の近所のコーラスに入っていて、みんなで常磐地方の村にいって歌をうたってきたらしい。
「絆の大切さをあらためて実感しました」みたいなこと言っていて、典型的な日本人ロボットだった。
私のばあい、「あらためて」って言葉を使うような人と話すと辛くなる。
そういう言い方をする人は、すでに固まった社会通念のなかから当たりさわりのない言葉を反復しているだけで、きいていると、息が詰まりそうになる。
4
ただ反復だけがある状態。
極論したら、それって、森永卓郎の新刊が出たら必ず買う「自称経済通」のおっさんとか、韓国アイドルの追っかけで台湾まで出かける「自称国際人」のおばさんとか、そういう極端なものと、ある意味おなじだと思う。
それより古川日出男阿部和重の読書会をやったほうが。って感じは、ほぼ誰にも伝わらないんだろう。
こんな場所でそんな人たちに囲まれて私は何をしたらいいのか?
息がつまる。