マルクス主義活動家

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マルクス主義活動家の本棚をみた。
ゲバラのTシャツとか並んでいるんだろ?と思っていたが、意外とかなりまともだった。
公害、貧乏、移民、少数民族、障害者、老人、子供、女、労働者など、「金と健康と名誉の欠けた状態におかれた人々の怒り」についての、良質なコレクションになっている。
下手な衒学趣味がなくて好感を持った。
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では、このような、日々の暮らしのなかの違和感について色々な人の書いたものを集めた良質なコレクションから、どうしてあのくだらない反対運動が出てくるのか?
日々の暮らしのなかで違和感が発生したとき、それについて考えることがある。その違和感をもたらしている今自分の暮らしている社会の仕組みについて、モデルを作って考える。
ここから考えの進む方向は2つある。
「A : 別の社会について考える」
「B : 今の社会で弱い立場にいる人に力を与える」
AはBの一部である(つまりBは別の社会として「今の社会で弱い立場にいる人が、弱くない立場にいる社会」について考えている)が、現代日本マルクス主義活動家はA=Bと言うだろう。
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Bについては、さらに3つに分けられる。
「B-1 身近にいる弱者のために個人的に力を貸す」
「B-2 フェアトレードや募金など経済システムのなかで弱者を支援する」
「B-3 デモや選挙出馬やテロなど政治システムのなかで活動する」
マルクス主義活動家はB-3にいちばんの価値を置いているように私は思う。
日々の暮らしのなかの違和感を解消することを目的にすると、B-3はB-1やB-2に比べて必ずしも有効であるとは言えない。
というのも、政治活動家として食っていくには支持者が必要になるから、活動家は支持者のために動くことになる。
それは別の違和感を生むような行動を導くのではないか。