アイドル・プロレスラー・批評家

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佐々木敦『ニッポンの思想』という本のありがたかったのは、現代日本の「批評」とか「評論」とか呼ばれている、人間の集団的活動のなかで何度も起きている、「当時のスターを次の新人が言い負かす」ことの繰り返しについて、「ありゃプロレスだよ」って部外者の立場から言ったことだ。
そうとわかれば、クソ真面目に観戦するのみ。
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プロレスラーは「誰かが自分の夢を彼に投影する」という点で、アイドルと似ている。
たとえばAKBの指原ちゃんに「何もできないボクでもビックになれる」という自分の夢を投影するような。
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としたら、「批評家」や「評論家」に我々の投影する夢とは...弁証法という物語...なのかな。時代がすすむとより良い考えが出るって...思いたいもん。
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ただし、美少女アイドルやプロレスラーの「人生劇場」をクソ真面目に見るのと、批評家・評論家の活躍をクソ真面目に見ることには、ちがいがある。
後者はxxそのものに関わっているから、「人生劇場」であってはならないのだ...コレうまく言いたい。権力?生政治?
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まぁ、個人的にはそれと別に、「批評家」「評論家」とよばれる人たちが、科学用語に似た現代思想用語のようなものを作って、ちゃんと定義せず使ったので気持ちわるいと思ったのだけど。
(これを「知の欺瞞事件」という)
今も「現代映像の熱力学」とか「現代文化の位相空間」とか「現代音楽の臨界点」とか言ってる人たちはいるのかな...