ここにある音には、これまでに鳴らされた音との関係がある。
むかし音楽として演奏された「歴史的な音」、あるいは、何か自然のあるいは人工機械的な音に似ているという「感覚的な音」。
こないだ街中の7階のテラスに出たら、電車や自動車の走行音や排気ダクトから漏れる機械の音が、こちらへ立ちのぼってくるように聴こえた。
都市という巨大なゴーレムの呼吸する音。*1
*2
*3

*1:コンピュータで作る音は、数学的な機械的な人工的な現代都市的な産業革命的なロボット的な・・・音。ずっと聴いていたらだんだん怖くなった、というわけ。かといって私は「自然」な存在で、私の身体器官そのもの、あるいは身体器官と楽器の接触によって発生する音が「自然」な音といいたいわけではない。私の鳴らす音には、コンピュータで作る音が「歴史的な音」あるいは「感覚的な音」として根深く染み込んでいる。人間は機械文明から逃げられないのか?この疑問が生まれる理由は、機械文明が自分あるいは人間にとって何か非常にやばい恐ろしいものを連想させるから。それは何?ひとつ考えられるのは、都市とか文明とか、人間の生きているまわりを取り巻くもの全体が、生命体(鼓動を打つ心臓の動きに象徴される)に似たものとして連想されるから、かなあ。そうするとやっぱり都市はゴーレムなのだ。人が作り出した、人より大きいもの。個々の人間から独立した思考回路をもち、暴走することもある。とすると、これは社会そのものではないか?

*2:最初に思ったのは、コンピュータで音楽を作るのはなんか違うな、ということ。「メディアはマッサージである」という意味での「マッサージ器具」を作りたいのならコンピュータでもいいだろうけれど、それは、最終的な破局つまり文明という生命体の死を先送りしているだけだと思う。

*3:これは、どうやらもっと重大な話につながっているらしい。