メカニックの快楽

完璧な計算と入念な仕上げによって精巧に組み上げられた機構が動作する瞬間を、目撃すること。
産業革命以降/複製技術時代の人間にのみ与えられたこの快楽は、そのために生きていると言っても過言ではあるまいような人間を、何世代にもわたって絶え間なく再生産しつづけてきた。
小説を読む愉しみも、ある種の読者にとっては、ここに機縁していて、それは本格ミステリー小説の読者にとって、最もよくあてはまるはずだ。
そんなことを感じたのは、森博嗣すべてがFになる円城塔『Self Reference Engine』を目にしたときだった。
科学と恋愛のアナロジー
科学のことばを使って、恋愛の様相を記述すること。
小説にとって大切なことは記述の精度であって、その真偽ではない。
だから、完璧な計算と入念な仕上げがあれば快楽の源としては十分であって、たとえ初期条件からして正しくなくとも、かまわない。
誤解だらけの不確かな知識のなかから、ひとつの仮説、一抹の真理めいたものを見出したときの、当人だけの味わえる、高揚感に似たもの・・・
「しかし女の子というのは、あえてそんな筋肉の酷使をしなくとも、時間をふと抜けてしまうことができるのはよく知られている現象だ。そんなわけで、今日も僕は走っている。何故と問いかける向きがあるだろうか。」(円城塔『Self Reference Engine』p.11)
人がその一生のうちで恋愛を知り、科学のことばを知るのはいつなのだろう?
思うに、ある人にとってその時期は、最もかけがえのない貴重な時間なのだろう。
独我論的な殻を打ちやぶる、未知なる他者の貫入・・・