村松友視『淳之介流−やわらかい約束』

淳之介流―やわらかい約束

淳之介流―やわらかい約束

対談の名手でもある小説家、吉行淳之介の担当編集者(中央公論)だった村松氏の回想録。
小説家はウソツキだということがわかると同時に、村松氏も小説家になった以上ウソツキであることは間違いないし、それを言っている私にも虚言癖がつきまとっている。
同じウソでも、こんなウソなら、いいじゃんよ。

吉行淳之介の口癖に「流れ」というのがあった。「そこから先は流れで」と、決めごとに不慮の事態によってぶれが生じたときに使う、常套句といってよいセリフだ。相手の出方が読めぬとき、そのケースのこなし方をあらかじめ決めず、その場の流れにしたがって行動するという感覚でもある。(p.15)

「じゃあその対談のはなし、やわらかい約束にしておこうか」(p.23)

わたしは、編集者時代にさかのぼってみて、三島由紀夫と言う存在がこの世から消えたことにより、気力を充実させた作家と気落ちした作家がいて、その気力を充実させたというか、取り戻した作家のひとりが吉行淳之介ではあるまいかとあるときふと思ったのだった。(p.160)

講談社の『私の文学放浪』は読んでいたが、それを担当者としてこなすのは自分には無理だと思ったからだった。のちに講談社の手だれの担当者が対談的な雰囲気でインタビューする『吉行淳之介全集』月報連載二十回分で構成された『わが文学生活』を読んで、私はそのときの判断が正しかったことを再確認した。あれほど緻密に、正確に、具体的に吉行淳之介の仕事を追って質問を向ける任など、とうてい私にはこなすことができるものではないのだ。(p.190)

(『好色一代男』の訳が完成して)日にちの折合いがつかず伸びのびとなっていた連載および打上げを、吉行さんが九月三十日にやってくれた。(中略)そこで、午後十一時五十五分をまわった頃、吉行さんが「さて、そろそろカウントダウンのタイミングだね」と言い、五、四、三、二、一・・・・・・と腕時計の針が午前零時を指した瞬間、ニヤリと笑ってグラスをかかげ「乾杯!」の声を発した。実は、九月三十日は翌十月一日付で退社する私の、編集者最後の夜だったのだ。
(中略)
「ヨシユキだけどね、会社やめても電話かけてきていいんだぜ」

出版社に入りたいと言う人は多いけれど、タウン情報誌やるくらいなら家でぐうたらしていたいし、経済誌やるくらいならマーケットでどんぱちやりたい。
こういう過去の文壇の華やかな栄光時代を追うだらけた人間が、世の中に、ひとりくらい居たっていいじゃないか。