ふわふわSparklingのお姫様!

・Sparkling!1〜韓国。
韓国から来た友達と日本‐韓国のサッカーを一緒に見よう、という企画があってとても行きたかったのだが、他に予定があって行かれなかった。
まぁよい。機会みつけていつかやりたい。
僕たちは憶測でものを言いがちだが、それはなるべく避けよう、という自分ルールがあって、実は韓国代表のことって隣国なのにほとんど知らないので、たぶん90分の試合を1回見るだけでも、とても面白いことがわかるはずだ。
=○=
・Sparkling!2〜多数多様性。
かつて同級生だった方々が、外資金融の内定をどんどん取っている。
彼/女たちが我が者顔で六本木を闊歩するような情景は正直あんまり想像できないすまんですwけれど、おっとこれチャンス到来じゃないの!?って、勝手にうれしくなってる。
化け物みたいに優秀な人に打ちのめされたいと言いながら、化け物は意外と身近なところに実はいて、ただ自分が逃げてるだけなのかもしれないね。
高校でもそうだったな。見方を変えれば、そんな気もする。
高校時代の同級生は、みんな多彩な才能を持っていて、特に年相応とは思えない経験的・技術的蓄積*1と、論理的に構築された直観の両刃遣いで万事ぶった切っていくタイプの人間がけっこういて、数学の話とかサイバネティックスの話とか、ついていけないのが悔しくって、家で考えてもわからないのがまたもどかしくって、しかも自分が考えてる間に彼らは音楽やスポーツや百人一首や絵画や映画やコンピュータや恋愛やそこに文学、思想がなかったのは地域性か?*2、その他いろんなことを物凄いスピードで並行して進めていて、「何をやってもかなわない・・・」「どんどん置いていかれてる・・・」ってのが、実は本当に辛くって、しかも自分の能力を素直に見せつけてくる人が多くて、「ガリ勉」のふりしてみたり、不登校になってみたり、いろんな薬物ためしてみたり、彼/女たちと競わなくていいようにあの手この手で逃げ回っていたのだすみません、と「正直に」*3懺悔してみようかな。
たとえば「位相空間論が3日でわかった!」とか「ケインズ『一般理論』が5時間でわかった!」とか「財務会計が3分でわかった!」とか言うタイプの人間が今いる大学にはけっこういて、でも思い返せば高校にも「受験前日徹夜でカラオケやって京大現役」とか「E.T.みたいに自転車で浜松から京都まで移動して京大医学部」とか、受験勉強に限ってみてもという例を挙げたのは自分があまりにも無能で、比較優位に立てるのは残念なことにこれしかないから・・・化け物はたくさんいたのだが、自分はそういうタイプの人間ではない、ということは割と早くに悟らざるをえなかった。
多数多様性に引き裂かれて壊れる、というのは原風景としてはこんな話。*4
=○=
・Sparkling!3〜多数多様性のつづき。
まぁ、あの時点の自分にはそこまでの蓄積も能力もなかったのだから、仕方ない。
多分今でも彼らには相手にされないだろう・・・
=○=
・Sparkling!4〜断崖絶壁。
それで自分は鈍くさいから実証系ばかりやっていたのだけど、誰にも出来ないことをしようと思って、たとえば葡語くらいは高校生のうちにモノにしようと企んでいたのだけれど、結局中途半端になってしまって、それはあの街に残してきた最大の悔恨だ。
あっこでキタコウ的バリューシステムに乗っかっていたら、葡語と法律がんばって、地元で人権派弁護士って道も、もしかしたらあったのかもしれないね。
面白いと思う。リベラリズムの断崖絶壁。
たとえば、自分はリベラリストを騙っている。
しかし、それでもやっぱり、たとえば実家のエントランスに車ぶつけられてぐちゃぐちゃにされた*5挙句、補償がなされないうちにやった人が本国へ帰ってしまって、あっちでも補償を継続してもらいたいのに、それをコミットする法的システムがなくて、結局行方をくらましてしまった、ということになると、何とかしてもらいたいと思うのは当然だと思う。
そこでリベラリズムに何が出来るか、リベラリズムでどこまで行けるか、というのは、答えが出るかは別として、考えなくちゃいけないことだと思う。
=○=
・Sparkling!5〜斜めに抜けていくこと。
たとえば風向きが良くなって自分が外資に入ったとしても、きっと何年かしたら戦力外通告を受ける時期が来るだろう。
そしたら、ゲームオ−バーになった時点でどっかのローにもぐりこんでアキバとかにある学校ねw斜めに抜けていくのも、選択肢に入れていい気がする。
(http://www.lawschool.tsukuba.ac.jp/gaiyo/access.html)

吾々にとって幸福な事か不幸な事か知らないが、21世紀の東京ではお金さえあれば、多くのことは実現可能だ。*6

吾々にとって幸福な事か不幸な事か知らないが、世に一つとして簡単に片附く問題はない。
遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という吾々の思索の唯一の武器は、依然として昔乍らの魔術を止めない。
劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない。
而も、若し言葉がその人心眩惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい。
--小林秀雄『様々なる意匠』より

=○=
・ふわふわ。1
可能性と不可能性、希望と絶望、全能感と無能感、安堵と焦燥。
いくら元気なこと書いてるときでも、憂鬱なときでも、どっちかが100%って、自分の中にはない。
その匙加減が合ったり合わなかったりするところが満足と不満の境目で、もっと言えば人と人との接点の有/無なのかなって、酔った頭で考えてみた。
アブサンのしびれる感覚がやっぱりたまらない。*7
=○=
・ふわふわ。2
今日カラオケでうまく歌えなくて申し訳ないことをした。
特にまずかったのがこの曲。
(http://www.youtube.com/watch?v=crC1BSoFQxw)
牧野由依タソが可愛らしく囁くBメロを自分が「♪私を見て」とか何とか歌ってしまって、気色悪さといったらなかった。*8

*1:まぁ要するにビデオに5700本出演した、というような話だわな。

*2:自由な雰囲気の地方共学進学校、という環境では勉強が出来るとか何とかいう個別的なパラメータよりも「異性の目」がその人の「価値」の判断にかかわる決定的な要因となっていて、たとえば文学なんかは一部除いて全く評価に値しないもの、ということになる。

*3:こういうふうに、同じ事柄について幾つもの「物語」が並列して描かれるとき、その中でどれが「正しい」か決める方法について、少なくとも今の自分は知らない。

*4:精神科には人生で6回だけ世話になった。

*5:なんかね、昔々実家にはイオニア式っぽい、小さな門柱もどきが建ってたのよ。それが壊れて今では古代ローマの遺跡みたいな惨状・・・

*6:たとえば、バイキング形式の食事は自由な気がして楽しいが、もしお金が無制限に使えるのなら、全ての食事はバイキングになる。

*7:経済学を初めてやったとき、「効用関数」(人の「選好(≒満足☆)」をあらわす関数。入門レベルの経済学ではこれが先験的に決まっていると仮定した議論を示されることが多い)、という概念にものすごく違和感をおぼえたのだが、現実には「満足/不満」はとても移ろいやすいもので、言い換えれば「効用関数の形は一瞬で変わる」。

*8:いや、単にアニカラをやってみたかっただけなのだ。