オランウータン

支笏湖が幻想的だったな。
新千歳空港からくるまで50分だから、気候の良い季節に、休日に2泊くらいで、ぱっと出掛けちゃいたい。
さて。
今日は早起きして、思い切り冷やした部屋にこもりきって、ビートルズの『ラバー・ソウル』でもかけて、新しく見つけた、とてもうまいアイスをいつもの珈琲と一緒に堪能して、ひねもす数理統計に*1対峙する*2つもりが、7曲目の"MICHELLE"のあたりで、あまりにも気持ちよくなってしまって、そのまま文庫本のサリンジャーを取り出して、読み終わって、菊池成孔の連載コラムも読み終わって、現在に至る。
なんという時間の浪費・・・だから色んな人からいつだってばかにされるんだよなぁ。
せっかく時間が空から降ってきたので、自分にとって好ましい過ごし方を模索しようと決めたのだが、思いつくことはことごとく、社会的に主流じゃないことばかりだ。
自分のようなエピキュリアンって、まわりに少ないから戸惑う。
おおくの人は制約条件から考え始めるが、僕は理想状態から考え始めるから、そこに大きな断絶がある。
どうしたものか・・・

*1:この場合「と」のほうが適切?20年以上日本語を使ってきたのに「てにをは」がわからないので誰か教えてください。

*2:この用法だいじょうぶかなぁ?聞いたことないけど。

快楽と動物。

数理は大切だ。
とはいえやっぱ、あんま適性ないみたい。
抽象的な思考をめぐらし、手を動かしながらひとつずつ自分なりの理解をかたちづくっていく過程って、ピアノの個人練習のように孤独だから、よほど集中力や日々の慣れがないと、面倒になっちゃう。
小平邦彦が「数覚」という言葉を使っていたけれど、まぁ、音感のようなものみたい。
それよりか、やいのやいのと思いつきで喋ったり、タフなネゴシエーションしたり、そういうほうが、どう考えたって動物的な本能には近いね。
あるいは、単純な作業をこなしたり、ってのも、本能を刺激する高揚感はないかもしれないけれど、そのぶん難しいこと考えなくて良いから、気楽だと思う。
ビール飲んで「がはは」と笑っていれば良いからねぇ。
しかし、そういうのって美しいあり方だったり望ましいあり方だったりするのかな、と考えると、どうなんだろ。
やはり、数理はたいせつ、という結論に戻る。
さて。
外が涼しくなったようなので、表参道の服屋にまゐります。
今日はいいタイトルが浮かばないなぁ。
ばーい。