#71 一回性と反復性

(未完成...)
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菊地成孔のやっているラジオのなかで、1300万曲のデータベースのなかから好きな曲を聴き放題というソニーの新しいサービスと組んだ、「今週のこの曲」というようなコーナーがはじまった。
ジャズといったら即興演奏だが、このコーナーでは、ソニーの1300万曲のデータベースに収められた楽曲が、菊地の解説つきで放送される。
2
即興演奏と1300万曲のデータベース。
芝居小屋でみる演劇とレンタルビデオ店で借りる映画。
この対比は、ひとつの物語に入り込む型の観賞様式(大塚英志『物語消費論』)と、データベースという一覧表のなかから好きなものを取り出す型の観賞様式(東浩紀動物化するポストモダン』)という、2つの観賞様式の対比に対応している。
ある作品の絶対性と相対性。
ある作品の唯一性と複数性。

4
菊地はデータベース取り出し型の観賞者・音楽家と言えよう。
データベース取り出し型の観賞は、蒐集や分類という行為の結果としてある。
ここに問題があって、蒐集や分類という行為は、途中から、というか蒐集や分類の基準を決めた途端、単純作業になってしまう。ある作品の絶対性や唯一性につよく惹かれる気持ちは、消えてしまう。

5
映画館はこの中間的な形態だ。
レコード屋、本屋、自宅の小さなコレクション、DJの演じるクラブイベントも同様。
「その作品は反復可能だ」「そこにある収集品目録は一覧表としては不完全」という特徴をもつ。
つねに大衆的な話題となる、国際映画祭の賞とか、『このミステリがすごい!』のようなランキングとか、ああいうものは、単に、ある作品がデータベースに登録された、というだけのことだ。
夜空の星?
しかし、それは単なる透明なデータベースでしかない、というのは、どうなんだろう?
ある作品の背後に完全なデータベースがあると考えると、かなり息苦しくならないか?