#58 恋と選挙とチョコレート

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東京新聞参院選緑茶会発足 「脱原発」結集 1次推薦40人 】
http://bit.ly/12nGZrK

町でみつけた変な話。
彼らはこのたび結集して、議会に人を送りこむのを当面の目標として、がんばるそうだ。
脱原発派の論客って、猫好きと客層がかぶるように思う。
猫好きとはどんな人たちかというと、たとえば...
猫好きのあつまる動物愛護団体の定例お茶会で、フクシマのペット救出作戦とか保健所見学会とか一連の活動報告がすんだあと、猫をかぶってウトウトしていたパンクな少女が「あたしは猫がきらいです!」と言いはなったら、どうなるだろう?
猫みたいに爪で引っ掻かれるかな?
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このたぐいの人たちの主張を一言でまとめると、「弱い者が群れて生きることを認めよう」になると思う。
個人的には、猫という生物そのものには、まぁ愛嬌があると思うけれど、猫屋敷はモジャモジャして不潔な気がする。「緑茶会」という名前も、茶がまずくなりそうだ。
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もっと言ってしまうと...
猫好きは、猫にまつわるいろいろな感情や記憶や寓意のようなものを「かわいい」に縮減させている。
脱原発派は、原子力発電所にまつわるいろいろな感情や記憶や寓意のようなものを「きもちわるい」に縮減させている。
つまり、粗雑なのだ。
とはいえ、逆の立場にある、野球の巨人軍やドラゴンボールの熱烈者のような「強い者だけが正しい」という主張も、これはこれで粗雑ではある。
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先週、土浦のすこし先まで電車でいったら、若い女性を中心に、乗客の2-3割くらいがマスクをつけていた。
身のまわりの自然や身近な人たちを前にして、実験室にいるみたいにマスクをつけなくてはならないのは、気の毒だと思う。
とはいえ、それを脱原発みたいな話と直結させるのは、粗雑すぎる。
原子力発電所というのは今では地元の人たちの生活に完全に溶け込んでいるので、脱原発派みたいに表立って Yes/No を話題の中心にもってくるのは、変*1だ。
たとえば、山に高圧電線が架かっているのが見た目に美しくないということに今とつぜん気づいた人が、急に「脱電力」とか言い出したとしても、誰もとりあわないでしょう。
あるいは、猫というペットが、あちこちにフンを撒き散らしてくさいということに今とつぜん気づいた人が、急に「脱猫」とか言い出したとしても、誰もとりあわないでしょう。
かように現実は混みいっていて繊細だ*2

*1:これがドイツあたりなら、町を二分した大論争が勃発しそうだが...

*2:ある種の明快さは、ある種の粗雑さと不可分なのかもな。