#52 システム論の落とし穴

1
電車にのったら、「埼玉平成は言葉に強い生徒を育てます。」って広告をみつけた。
この学校に通うと、卒業までに、英語と日本語の検定試験が受けられるらしい。
「鈴木養鶏は鉄分の多い鶏卵を育てます。」ってのと同じだな。教育の産業化。アホだ。
2
あらゆるものの産業化は、システム論的な考え方によっている。
「分析対象全体のなかから有限な要素をえらび、それらを最適化する」ってやつ。
それは、「1. ある現象をかたちづくる要素が有限であること」「2. それらは定量化できること」にもとづいている。
さっきの学校の話なら、「1. 望ましい高校生は、要素として『言葉の力』なるものをもっている」「2. それは検定試験の得点のようなもので定量化できる」ってことだ。
ここしばらく漠然と考えていたのだが、システム論的な考え方の問題点は、ここにあることがわかった。
システム思考―複雑な問題の解決技法 (BEST SOLUTION)
3
システム論的な考え方は、今の社会の、特に経営者と呼ばれる人々の意思決定過程に深く根を張っているが、ときどき、このようなアホな話が出てくる。
システム論的な考え方をつかって、アホな話が出てくるのは、「1a. 要素の取り出し方がまちがっていた」「1b. 対象が要素として取り出せないものだった」あるいは「2a. 定量化の方法がまちがっていた」「2b. 対象が定量化になじまないものだった」という、これらの場合のいずれかだ。
4
「システム論的な考え方をつかったとき、しばしばアホな話が出てくること」、これを理由に、システム論的な考え方のすべてを否定するつもりはない。真逆の論陣を張って、「あらゆる分析対象は有限な要素に還元できない全体であり、それはどうやって最適化することもできない。ただあるがままの全体のう・ね・り・を・感・じ・る・の・だ!」と言ってしまえば、単なる偏屈な歴史主義になる。システム論的な考え方を基本にして、毎回アホな話かどうか見分ければいいと思う。
歴史主義の貧困―社会科学の方法と実践