辻立ちの説法師

1
うちの近所の商店主らが地域活性化のためのNPOをしているらしく、建築設計*1の院生の友人がそこに関わっている。
「地域住民と学生の交流」がテーマだそうで、最近は朝あつまって町のゴミ拾いをしているらしい。
「みんなでやれば気持ちいい」それを労働力の搾取というのではないか?
都会の農学部の学生あつめて農業手伝いをするならまだしも、汚ねえ町の掃除なんて地元住民だけでやるかダスキン呼ぶのが筋だろう?
学生にとって何もいいことがない。
2
で、公共哲学とかコミュニタリアンとか地域共同体とか言い出すと、たとえばこういう話になる。
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「話し合えば何でも解決する」ってね。
辻立ちの説法師ってのは悲しい生き様だ。
3
これは公立中学のような環境ではいじめが構造的に非常に起きやすいって話と同じ。
異質な社会環境に置かれた人々が長時間密集すると、すぐいじめが発生する。
それはカビみたいなものだ。
http://d.hatena.ne.jp/soraniukabuniji/20120712
4
むかし『孤独なボウリング』って本が話題になったけど、自分がスクールカーストという名の猿山にはいって、不運にも最下層になったとき、全員にいじめられながらボウリングするより、ひとりでボウリングするほうが断然たのしい。
5
「地域共同体」から「辻立ちの説法師」への話のつながりに飛躍があったな。
言葉を足すと、日々の暮らしを考えるヒントにするのは結構。
地域共同体や会社組織に所属しているなら、そこでの経験からものを考えればよい。
しかし伝える相手を地域共同体や会社組織にしてしまうと、伝えられることは、聞き手の知的水準や話し手と聞き手の関係性によって限定されるから、その限定を外したときと比べて、「ここでは言えない話」というものが増えて、あまり意味のある話にはならないだろう。
辻説法師として生きることは、その悲しみを背負うことである。*2
このくらいか。

*1:これもまた怪しいものだな。昔の人の名言を適当に引用して、もっともらしいことを言うだけって感じもする。

*2:日本思想史ってのは辻立ちの説法師の歴史なのですよねえ。