散文的な高揚

1
「メールアドレスかえました」ってメールを、ある年下の女性に送ったら、会ってない3年のうちに3つ目の会社に移ったらしい。村上龍『2 days 4 girls』って詰まらない本を思い出した。
速くありたいと思う人にとって、時代は途轍もなく速い。

2
人生は短い。が、よく考える前にあちこち飛びうつることが、まったく意味をなさないって例を、私は知ってる。ただただ散文的な世界...

3
散文的な高揚ってある。雑用だけ妙に進む、あの感じ。あの時間。あの全能感。エアポート、アルコール消毒、金融市場、高速道路、ミニマリズム美術、トランス音楽、解析・計算、電子計算機、高島平の団地、fripSideの歌...このようなものに近い。

4
散文的なものは「継続」あるいは「反復」あるいは「実行」あるいは「徹底」あるいは「曝露」にかかわっていて、詩的なものは「生成」あるいは「洞察」あるいは「回避」にかかわっている...ような気がする。

5
幻想のなかでは全てが詩的だ。たとえば故郷を追われた者にとって、故郷はいつまでも懐かしくてあたたかい場所として残りつづける。物語もそういうものだ。
あとは...一人旅をしたら、詩的な気分のまま実際の土地を訪れることができる。あっちに住んでる子と会う、なんてのは野暮かも。現実はそんなに詩的ではないのだから。
「現実はそんなに詩的ではない」のではなく、「現実においてすべてが詩的であるはずがない」か。

6
よくよくみると東京の子供は病的だなあ...
好奇心がなくて、競争と物まねがある、ニュータイプ...
ソウルとか北京も同じだろう。
好きキライはおいても、こういう行き方には、進化的な安定性がないと思う。
そこに進化的な安定性があるとしたら...
「都会育ちは(精神的に疲れて)数世代で滅びる→田舎者が流入する」みたいなカラクリか。例の「産業予備軍」っていう...
応仁の乱流入人口がなくなったら衰退。そんな具合かな。

7
この「精神的に疲れる」という状態は「ニヒリズム」と言い換えられる。
なんでも交換可能になると、あらゆる事物について固有の価値や意味が失われる。最終的には、人の生きる意味さえも。
ただし、人々は方法論的に虚無主義をえらびとったわけではない。つまり、それは欠如だ。別の価値観や解釈の欠如。
あれ?なんか違う...
別の価値観や解釈をさぐろうという意欲の欠如。これか。

8
「美女木」って新しいあそびを思いついた。
各自あつめた流木(これを「美女木」という)を河川敷に持ちよる。
ずらりと並べた折りたたみ椅子に「美女木」を置いて、1つずつ時間をかけてあれこれ言いながらBBQ...