認識と実践のあいだの穴


0
日本最大の広告代理店で働くことになった友人が、「クールジャパン」という、経済産業省のお金でシンガポールやインドで日本のアニメやアイドルを宣伝する活動について、熱く語ってくれた。
「あれ?この人『エヴァンゲリオン』みたことないって言ってなかった?」と思ったけど、黙っていた。
彼は非常に高い実践的な能力をもっている。
1
同じことは前にもあった。
環境保護活動家と話したとき、彼女は中西準子の名を知らなくて、この人アタマに穴が開いてんじゃないのか?と思った。
個人の問題ではなく、この言語環境というか社会構造というか、どっかに穴が開いてんのだろう…
4
「この人アタマに穴が開いてんじゃないのか?」という疑惑。
つまり、認識と実践のあいだに断絶があるってことだ。
船橋で25年間ずっと街頭演説を続けてきた、あの実践の男は、その体験から、なんか認識を得たのだろうか?
5
似たような話はつづく。
6
ある有名な予備校講師の方のつぶやきを見たら、「私はドゥルーズからの影響を強くうけた」と書いていて、そいつは怪しいと思った。
7
日本の人文知の水準が非常に低いことは知ってる。
もう10年も前、私が高校に在籍して、つまらないから長く休んでいたとき、教頭先生(東北大国文科)と担任の英語の先生(京大教育学科)が、個人的に話す時間をとってくれた。
普段は何をしているか訊かれて、「じっくり休んで音楽と映画と本をたのしんでいます」と答えたら、蓮實重彦の話になったけれど、担任の先生は名前を知らず、教頭先生は難しい評論家と聞いたことがある、と答えた。
ここで一言くわえておくと、蓮實の「表層批評」自体、大したものではなく、しかし映画をそれなりに見た者にとっては乗りこえなければならない一里塚で、当時の私はまともに映画をみるようになって2年目で、とすれば、中毒者には次に『知の欺瞞』あたりを紹介するのが筋。まあ知らなかったのだろう。
8
先生方を責めるつもりはなく、日本の教師はサラリーマンと同じくらい仕事が忙しいから、「認識」のための時間がないんだと思う。
私のような者のために書類仕事や会議が増えるのだ。
9
認識と実践のあいだの穴を、どうやって埋めるか?