人情噺


夏ですな。
個人的な好みとして、落語を聴くのは秋だけなのだが、それというのも多分、人情噺なんて聴くと妙に感傷的になっちまって、日々忘れていたことを思い出しちゃうから、辛いのだ。演芸場からの帰り道にはきまって、見上げた夜空に月の光が冷たく浮かんでいる。今月中席の鈴本はすごいらしい。ちょっと聴いてこようかな。
なんかね。江戸川花火大会とか見に行って。あぁ、こういう場所にたくさんの人々の住まいがあって、ちらちら見える灯りの向こう側には、子供の水泳大会での入賞に喜んだり、奥様のあまりの浪費癖に我慢できなくなった旦那が積年の怒りを大きな声でぶちまけたり、いろんな感情があって生活が営まれているのだな。とやけに感慨深くなったりした。
今年からママしてます。みたいな投稿を、たとえば地元で一緒だった子の日記なんかで目にすることが多くて、たくさんの記事を系統的に並べてみたりして、そっか自分あの街にいたらそういう歳なんだな。って考える。しかし俺には何もないな。甲斐性なしだからねぇ。出身地のような場所で奥様と子供と暮らしてもきっと俺は、結婚を機にはじめた料理の腕がようやく上がった奥様が子供の野菜嫌いを何とか直そうと作ったホウレンソウ入りオムレツの入った弁当箱を会社に持ってって、くぱぁ。って机の上で広げては上司や同僚から冷やかされて、んぁあ何となく幸せ。でもオムレツうまくない。的な日常が、そこにはあって、とはいえこれはかなりうまくいった場合なんだけど、しかしそれには退屈しちゃうだろなぁ。と考えたりする。日常や現実から離れて、何らかの理想的な状態の一部が見えがくれしてほしい。だからたぶんきっとこのままずっと首都圏でひとり気ままに暮らすのだろう。ギャルゲのコレクションがもっと増えんのかな。と考えたら、さびしいけれど、新宿区の中古マンションの相場なんて調べてみたりして、これでいこうか。と思った。

そんなことより根津の魚屋で仕入れた夏サンマを1人さばいてるほうが相応しい。いつか車と漁船を買って休日に富津とか横須賀あたりで釣りできたらいいなぁ。やっぱ住むなら自然の近い都会に限る。自分の場合、刺激がなくなると気持ちが沈んで自律神経がやられてしまう。
まー結論、今日いった早稲田松竹がめっちゃ良かったということ。