2周目の観覧車

昨日の昼から電気が止まって蝋燭ともして暮らしてる。
すきま風が入って鬼のように寒い。
ま、これもまたよし。なかなかおもろい。
そう。子供にはそれぞれ成長スピードがあって、幼い子、ませた子いろいろいる。
僕なんか後者の典型で、なんかもう体感年齢60歳くらいだ。
早く引退して酒造りと詰将棋と小説読みに専念したい。
しかし、その後はどうなるのだろう?
もしニーチェの言う「永劫回帰」があるのなら、あと5年くらいしてきっと「2回めの思春期」が来る。
残念な日々の過ごし方なら大概やってきたはずだから、次は逆のことをすればいいのだろう。
一身にして二世を経る。何と充実したことだろう。
...
なんかね。
大きな物語」がないなぁ、というのは、たとえば後楽園遊園地に掲げられた野球チームの煽り文句がどこか絵空事に見えるようなところに実感されて、あれでは選手たち迷うのではないか?そんなことではどこからも承認を得るチャンスが来ない。
この生命体への最終的な救いを与えてくれる神、偉大なる伝統が刻まれた歴史、それをまもるために戦うべきイデオロギー、数学の魅せるユートピア...なんて絵空事なんじゃないかということになる。
そこに至ると、結局、誰か〈一者〉への愛に生きることか、あるいはニヒリズムに逢着するのだろう。
ニヒリズムを経たのち絶望に至る。これはありそうな筋立てだ。
では、ニヒリズムを経たのち愛に至る。これは実現可能か?
なんか竹田青嗣井上陽水論に手がかりがあった気がする。
河出文庫の絶版が中古でやたら高いので、図書館から借りてこよう。