適応進化?ティラノサウルス・レックスとは何か?

たとえば、リチャード・ドーキンスという科学ライターがいて、彼は「あらゆる生物は環境に合わせて適応進化するが、彼らは自らの遺伝子の存続に向けてひたすら頑張っているのだ」ということについて延々と語り、それに影響を受けた人々が進化論っぽいことを自然現象のみならず社会現象についても語る場面をしばしば見掛けるが、何かちがうな、と思っていたので、ちょろっと書いとく。かなりユルいので、いずれ書き換える*1予定。

1.時間の長さについて
生物学の元々の意味で、「進化」をすごい長い時間で捉えたら問題はないだろうけど、ひとりの人間が新技術にキャッチアップする速度、みたいに短い期間で捉えたとき、「適応できない種は劣っている」みたいな話になりがちで、非常に違和感がある。

2.神の存在について
進化論からは神は排除されるけれど、超越的な存在をココロのどこかに置くことって、現実的にはたくさんの人がやっていることで、そこから考えはじめることには、固有の意味があるはず。他の生物と人間をくっきり分けることは難しくても、違う意味体系があるよ、って説明すれば良いと思うのだが。

3.事実論と規範論について
「あらゆる生物は環境に合わせて適応進化し、種の繁栄に向けてひたすら頑張る」という命題は、状況証拠を積み上げても解釈にしかならず、証明することはできないはず。だから事実論としては「わからない」のだ。そうすると、規範論として開き直るしかないはずで、それなら別に、政治的な立場として自由主義をとるなら、信じたって信じなくたって良いことになる。

*1:いや、永遠にやらないかも。「誰が何を言った」を跡づける作業は面倒だし僕より適任者がいるはず。