買い物スイッチ!?

アメ横に行って魚を買ってきた。
売り子のおじさんに話しかけたら、値引き交渉になって、けっこう興奮した。
「魚を買う」という日常的な行為ひとつが、街においては、祝祭となる。
ただし、これは「街」そのものの特徴というより、「バザール」ならではの特徴である。
文化人類学者のクリフォード・ギアツは、アラブ地域やアジア地域に数多く存在する「バザール市場」を分析した論文の中で、この市場の特徴のひとつとして、「価格が取引ごとに売り手と買い手の交渉で決まること」を挙げている。
バナナの叩き売り、チョコレートの山盛り・・・
毎度毎度繰り広げられる駆け引きの面白さ。
食うか、食われるかという一進一退の攻防のゲーム性。
これは、バザールを内包する「街」の魅力の大きな部分を占めている。
しかし、時代の主流は定価販売へと変わってしまった。
プリミティブな「街」でとり行われた「日常性の祝祭空間」から退屈きわまりない「定価販売のスーパーマーケット」へ。
究極的には、ウォルマートの"Everyday Low Price"というモットーの実現(とはいえ、ウォルマートは必ずしも安くはない)へ向けて、社会は全速力で動き続けているかに見える。
都市空間からサバービアへ。近代化へと続く道。
社会全体にわたる徹底的な効率化・・・
定価販売をすれば、売り手と買い手双方の取引コストは減少し、パレート改善を図ることはできる。
とはいえ、これによって、人びとは豊かな暮らしを手に入れた分、都市住民としての心躍る体験を失ってしまったようだ。
このことのもつ意味は、未だわからない。
市場を創る―バザールからネット取引まで (叢書“制度を考える
と、ここまでは別に当たり前の話。朝日新聞にも載っているだろう。
問題は、ここにまったく逆の事例がある、ということ。
草創期のダイエーの事例・・・
カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈上〉 (新潮文庫)
以前に、ダイエー創業者・中内功の伝記を読んだとき、この会社が露天の闇市のような場所から大きく成功した要因として「定価販売」という要因が挙げられていたはずなのだ。
あれ?先ほどの結論と逆ではないか。
定価販売によって、主婦はボッタクリに遭わずにモノを買えるということから多くの客が集まり、店は大盛況となったらしい。
街を見わたすと、今でもたしかに、定価販売でもテンションの上がる店は存在する。
たとえば、御徒町の「タケヤ」。
先ほど挙げたアメ横と同じく御徒町にありながら、しかし定価販売を旨とする「タケヤ」はいつも多くの人であふれており、僕自身、そこに行くとテンションが上がる。
なんでテンションが上がるんだろう?宣伝文句かなぁ?人がいっぱいいることかなぁ?ものがいっぱい並んでいることかなぁ・・・
草創期のダイエーって、こんな感じだったのかな、と興奮しながら、キックボードとか、靴の後ろにローラーの付いてるやつとか、ペットに餌をやるのにタイマーが付いていて時間になると自動で餌の出る装置とか、磨くと何もかもぴかぴかになる重曹の粉とか、いろいろ見て回った。
「バザール」か、「定価販売」か・・・
「買い物スイッチ」の入る瞬間・・・僕の中ではまだ結論の出ていない話題である。
たぶん、「フレーミング」の問題なんだと思うが。