市野沢潤平『ゴーゴーバーの経営人類学』

ゴーゴーバーの経営人類学―バンコク中心部におけるセックスツーリズムに関する微視的研究

ゴーゴーバーの経営人類学―バンコク中心部におけるセックスツーリズムに関する微視的研究

「すすきのに行くと、びっくりするほど綺麗なおねいさんを抱かせてもらえるらしいよ」と、いろんな人から聞いた。
そういった旅のかたちは、川端康成『雪国』に遡るまでもなく、今までだって相当数存在したし、今後も存在していくのだろう。
そしてそれは、グローバリゼーションとは必ずしも関わらず、むしろオリエンタリズムと強くかかわる形をとるのだろう。
商品市場でありながらバザール市場である「ゴーゴーバー」における男と女の駆け引きが、M.ポーターやC.ギアツあたりによるフレーミングのやや安易な流用をまじえつつ、多数のケースの例示によってスリリングに描き出されている本書。
商品市場でありながらバザール市場である、というのは、どういうことかというと・・・
商品として提供されるサービスのクオリティに関する情報が、対称的(容姿、身体的特徴、表面的水準は客にもわかる)でありながら非対称的(経験的クオリティ、信頼度、取引条件は客にはわからない)である、ということ、と個人的に解釈した。
あと、本書ではあまり強調されていなかった視点として、非対称的な情報の最たるものとしての、相互作用によるパフォーマンスの変化、があるはずだ。
「カネ」を媒介としながら「ココロ」を交わしあう・・・
連夜繰り広げられる祝祭空間のなかで、星の数ほどいる人間のうちの誰かが交わり、そこから誇り高い感情が生まれてくるのだとすれば、それは少しだけロマンチックだ。こんな映像を、少しだけ思い出した。
♪ I'M PROUD / 華原朋美
(http://www.youtube.com/watch?v=t6hjF3mDY3s)

I'm proud届きそうでつかめないいちごの様に
甘くせつない事夜じゅう思い浮かべていた

なんだか、すごい言葉も並んでいたりして。

「周囲の若い女性がすべて<カネで何とかなる>のでは、という感覚」(p.2)
「ゴーゴーバーにおいては、経済的側面が、当事者たちの経済外的な関心・要因で塗り替えられていく状況が、バンコクのゴーゴーバーの特徴である」(ページ数わすれた)

バブル期のディスコも、こういう感じだったんだろうね。
現代でも、それは一部に当てはまる。
僕の周囲の人びとの中にも、「女には不自由しない」ポジションに就くことが確実のものとなった人が結構いるので、まぁ人生謳歌してくださいな。
対照的に、僕にとって世の中は不自由きわまりないが、まぁ、こういうふうにできているのだ。