電子裁判とは?

「希望なんてない 世の中にあるのは絶望だけです」
「世の中に絶望的なことなんてありません 努力さえすれば希望は必ず叶います!」
久米田康治絶望先生』第一集

世間様にかかわるのは面倒だ、というのは正直な実感で、その理由がこの頃よくわかるようになった。
要するに、多くの人が「既存のルールの中をいかに勝ち上がるか」のみを考えていて、全体としての合理性を考えないまま無知・無定見な状態で利権に群がって生きているのが、見ていて悲しくなるのだ。
以前、電子直接投票について考えていたのだが、つまり、インターネットを全員使えるようにして、論争テーマごとに政策パッケージを提示して、直接投票で多数決を取る、という方式を考えていたのだが、この仕組みは、余程上手に作らないとダメだと思う。
きっと、すぐに論点が矮小化されて衆愚政治になる。
合議に多くの人間が関わればより良い結論が導き出されるかといえば、そんなはずはない。
たとえば、罪刑法定主義も知らない人が刑事裁判に加わるというのは、おそろしいことだ。
「遺族の気持ちを考えれば死刑も・・・」ということで判断が下されると、近代法制度のもとでの裁判ではなく、私刑の代行になってしまう。
そこから悪い妄想を膨らめてしまうと・・・
弁護人に対して検察が圧倒的に大きな人的・資金的リソースを持っている今の刑事裁判の枠組みに裁判員が組み込まれることで、「民意のあらわれ」としてどんどん厳罰化が進んでいく可能性は、あるよね。
そうなると、たとえばライブドアの堀江さんのような人は、いったい懲役何年になるのだろうか?