大宮vs.ベイエリア

有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究 (ちくま学芸文庫)

有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究 (ちくま学芸文庫)

本日は大宮にてアルバイト。
水族館の水槽が割れて魚と同じ水を浴びる、という悪夢を見る、という話を延々と。
たのしいおにゃんこ時間を過ごす。
その後、下北沢「共楽」にてラーメン・餃子のあと、「八剣伝」にてレバーの焼き鳥。
魚介系スープがうまいです。
行き掛かり上、なぜか、今夜は「サンフランシスコ・ベイエリア以外の地域は地球上からなくなればよい」という珍妙な自説を展開することになってしまった。
たっとえば、こんなかんじの。「さいたま的」日常を認めらんないんだな。
(http://ameblo.jp/nagaokamami/)
いや、たとえば淑徳与野高校の人って、菅野美穂とか秋山優とか永岡真実とか、めっちゃ綺麗なんですけど。
なんか違う、と言っておかなければならないような気がする。
「大宮好きです」ってのは、なんというか、発想が現実的すぎる。
一方、「横浜好きです」とか「神戸好きです」とか「函館好きです」とか「吉祥寺好きです」とか、その辺は、はっきりと理解できるのだが。
もっと明白なコントラストを示してみよう。
たとえば「コーヒーと紅茶とケーキとお酒とライブハウスが嫌い」で「炭酸飲料とラーメンとジャニーズと深夜アニメとガールズトランスは好き」という人がいたら、まぁ、僕はその選好順序に関して、単純にマーケッターとしても、全く手に負えない。毎晩コンビニ通うだけで満足ですかって。
なんだろなぁ。
と、いうことで、究極の理想を追い求めると、カリフォルニア・ベイエリアに辿り着くのだが、その真意はどこにあるのか?
たとえばそれが、こういう回路で辿り着いてしまうのなら、なんか、無理している感がありありと浮かぶ。
(http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/02/todai.html#more)