・厭世。
おぞましさは下水道に乗って流れてゆけばよい。

パリの人間は年じゅう忙しそうな面をしてるがね。ほんとは、朝から晩まで、ぶらぶらしてるだけさ。その証拠に、暑かったり寒かったり、散歩に向かん日になると、さっぱり姿を見せん。みんなすっこんで、ミルク・コーヒーかビールでもちびちびやっているだけさ。そんなもんさ!「スピード時代」が聞いてあきれるよ!
セリーヌ『夜の果てへの旅』,原著1932年,生田耕作訳)

=○=

・建築/都市設計。
友人の手伝いにかかわった縁があり、建築学科の卒業設計展覧会を見てきた。
任意の敷地を選び、そこに建築を作ること・・・たったこれだけのお題に対して、かなり多様なアウトプットがあって、数十点もの成果物が一堂に会するさまは、壮観である。
何が面白かったって、都市デザインにまで眼が行き届いている、というか、局域の最適化にとどまらず大きなアイディアの実現を目指そうとしている野心的な作品が多かった。
いろいろな作品があったが、全体に通底して顕著な影響が見て取れたのは、隈研吾、槙文彦、山本理顕、あたりか。
丹下健三のような開発主義的言説は少なく、同様に、磯崎新のようなポストモダン的言説も少なかった。
あ、「リゾーム」とか、少しあったか。
ここでまさに隈研吾的な分類法をとると、作品から見受けられる学生像は、4種類に分かれる。

・優等生(バランス)タイプ
敷地には、地域として都市内部における機能がすでに定まっている、無難な場所を選び、そこに実現可能性の高い解を出す、というタイプ。
無難さの中にどれだけ面白いものが詰め込めるのか、というところに評価ポイントがある。
松花堂弁当の中身を考えるような作業が好きそうで、個人的には付き合いづらそう・・・という印象が。

・職人タイプ
コンセプトの魅力や完成度とは独立に、模型や構造の完成度を高めることに至上価値を見出すタイプ。
敷地選択においても、洋上や砂漠など、抽象度の高い空間を好む傾向あり。
この種の作品を提出するのは男子が多く、旧来の「東大生」らしい、と言える?

・詩人タイプ
コンセプトの構想を膨らませるだけ膨らませてはみるものの、それに模型制作や構造設計の技術が追いついていないタイプ。
若気の至り、という言葉もあるから・・・

・アーティストタイプ
やりたいことがはっきりしていて、それにぴったりの敷地を見つけて人を巻き込み、表現として成立させるタイプ。
ただし利用者の利便性や実現可能性は、完全に考慮の外にある。

あとは、低層集合住宅の建築が多い気がした。
個人的にいちばんわくわくしたのは、現在閉鎖されている東武電車の浅草駅を改築して隅田川沿いに大屋根を通す、というアイデア
今ある隅田川の河岸は、人通りのある街並みとは堤防によって切り離されているので、夜に女の人が犬をつれて歩くには、少し物騒だから・・・
夏は虫がすごいし、路上で暮らす人も多いし・・・
河辺の優雅な散歩、という今の東京には足りていないポエティックなテーマを、うまいこと作品にしていた。

2月末まで、やってるよ。工学部1号館。

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♪ リバーサイドホテル / 井上陽水
こういう場所って、今でもあるのかな・・・?

――同級生と文学談義をしたり…?

角田 : それが、最初の年は専修に分かれず一般教養を受けているんですが、その、1年次のクラスコンパに参加したら、みんなが文学談義をしていて。私は田舎の女子校で、本当に狭い世界で育ったので、みんなの話していることが1個も分からなかったんです。私が読んできたのは教科書に載っているような人たちなんですが、みんなが話しているのは大江健三郎とか中上健次とか武田泰淳とか。あと当時宮本輝がすごく人気があって、名前が挙がっていましたね。でも私にはちんぷんかんぷん。2度とクラスコンパには出ないぞと思いました(笑)。
出所:http://www.webdokusho.com/rensai/sakka/michi37.html