・テーマ曲。
三味線の旋律にダンスミュージックの重低音を重ねたら相当なものができると思うのだが・・・
それも「東方」みたいなゲーセンみたいな、ニセモノっぽい音にしないように、三味線は徹底して生音にこだわってみたら!?
=○=
・あい、まい。
3センチの余白。
そいえば、ラルクの曲に固有名詞って全然出てこないよね。
ラルクの曲ばかり聴いていた、中学生の頃を思い出したのは、中学校の先生に出した年賀状の返信を読んだときの、「えっ、こんなこと書いちゃう先生に教わってたの!?」という思いからだった。
破り捨てたりしないけど、破り捨てたい、過去。
今回の帰省で、美術の授業とかで昔作ったものが出てきて、全部捨てようとした。
あまりにも趣味が悪いのだが、「急行南栗橋ゆき」に似た怖さをおぼえて、ビニールパックに封印するだけにとどめた。
今の自分が昔の自分を批判するときの怖さと、今の他人が今の自分を批判するときの怖さ。
それを同じにしようとしている。
そうすれば、今の自分は無傷でいられるじゃん。
悪いこと全部、昔の自分のせいにして、さ。
=○=
・縁の切れ目。
結局、収入がなければ男性は結婚もできないのね。
ここに浮かんでいる家族の風景が妙に生々しくて、実家での噛み合わない会話とか、なんか惨めになってしまって・・・
(http://www.sjc.or.jp/kikanshi/vol096_1.pdf)
俺と同じ境遇の友人が川崎で仕事を始めるので、週末、一緒に多摩川にの河口でも見に行こうかなぁ、なんて、思ってる。
=○=
・「昨日」が何度もおとずれたら!?
家の近くの大学にある学食がうまいと聞いて行ったら、まずくて食えるもんじゃなかった。
そんなところでもリア充はいっぱいいて、新年早々不器用なカップルとか見せられて、なんだよバカヤロウ・・・と、また暴発しそうになって、あわてて立ち去る。
なぜだか理由はしらないが、ここのところ精神状態がほぼminに達していたので、このままでは日常生活に支障が出ると思いつつ。
休みの最後は井の頭線に乗って、昔見た景色の中をぶらぶらする。
アパートの灯が消えているのを見て、安心したり、やるせなくなったり。
そのたびにいろんな記憶、といえないほど儚いものだけれど、そんなものが浮かんで、しかし其処に居場所はないことは判然している。
家に帰る途中、近所の本屋でマンガの立ち読み。
もっかい「昨日」をやる、ということ。
記憶の更新。
かんなぎ』、『ナニワ金融道』、冬目景の新刊があったので全部読んでいたら、終わった頃には夜になった。
ハルちゃんのクリスマスとお正月・・・なるほどね。
はっきりさせたくない、という人ばかりで、混迷は深まるばかりだ。
案外簡単に元気になった。たぶん今住んでる場所は自分にはとても心地よい。
しかし勉強が進まないのはなぜだろう・・・退屈しちゃって、いけない。