・シンボリック。シンフォニック。
声。
思い出すこと。
そう、郷愁なんてものは、離れてみないとわからないのだ。
=○=
・文言解釈という神の舌技。
法学部に逝っちまった友人が秘儀を披露してくれて面白かった。
ある検定試験の「受験上の注意」の中の1文を解釈すると少なくとも4×3=12通りの読み方があって、解釈のしかたによってはこの文は無効になってしまうそうだ。
あと、関係ないが法律について話をするときって、みんな異様に早口になるね。
あれは、不思議。いそがしいのかなぁ。
(http://jp.youtube.com/watch?v=BMGsc7OM858&feature=related)
=○=
ジョージ・ソロス
すごい大金持ちの人。自分もすごい大金持ちになりたい。人知れずね。
随分前の論文のようだが、『Intercommunication』に掲載されていたこのテクストが一部非常に刺激的だ。
今の自分にはよくわからない箇所もあるけれど。
(http://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic031/html/160.html)
よくわからない箇所一覧。
1. 「再帰性」という概念の、ソロスにおける、またポパーにおける意味付け。
ギデンズ(Anthony Giddens)の「歴史は歴史によって歴史化していく」という"社会的再帰性"と比べてみたら・・・
2. 「閉じた社会」について。

★1 「開かれた社会」とは,責任を引き受ける個人を陶冶するために批判的討議や合理的反省を重んじ,漸次的に社会を改良していくことを目指す社会である.これに対して「閉じた社会」とは,部族社会・呪術社会・集団主義社会を指す.そこには個人の発意や独立はなく,したがって反省意識を高めることはかえって社会を不安定なものにする.

「閉じた社会」において、反省意識を高めることがかえって社会を不安定なものにする、とはどういうことか。
「閉じた社会」においては反省意識が高まることはありえない、と思うのだが。
たとえある個人の中で「どげんかせんといかん」という思いが湧き上がってきたとしても、それが言説として社会のなかで流通する頃にはもう、「どげんもこげんもなかーろーもん」として片付けられている(無毒化されている)ような。

3. 通貨危機の「責任」は誰にあるのか?

★20 ある国家を破壊させるほどのブーム=バースト過程を引き起こす投機家は,その事態に対して政治的責任があるだろうか.責任はむしろ,投機を受ける側の政府にあるとみるべきだろう.1992年におけるタイの通貨危機の場合,対外赤字の拡大と国内の金融不安にもかかわらず,タイ国が高金利を維持し,対ドル相場を高水準に固定したことが原因であった.実体経済から乖離したマクロ政策を運営する政府は,市場によって評価される.

本当か?
ソロスの言うように、命題を「真」「偽」「再帰的」の3つに分類する*1ならば、再帰的命題に関して、真偽を判別するのは不可能ではないか。
とすれば、上記の「タイで通貨危機が起こった原因は、タイ政府の実体経済から乖離したマクロ政策にある」という命題について、この命題は再帰的であり、真偽を判別するのは不可能ということになる。
そうなれば「責任」の所在は定まるはずもなく、誰が何をどう処理することが「責任」を取ることになるのか、よくわからない、ということになる。
=○=
西炯子さんのマンガ作品。
こういう作品が世に出ているのを見て、ああいいところで仕事させてもらったんだなぁ、と思う。
(http://www.comicpark.net/cm/comc/detail-bnew.asp?detail=1&flag=-1&searchtype=all&keyword=COMC_ASG00365&refno=COMC-0000)
ジョージ・ソロスにお金出してもらって1冊200円くらいで売れたらいいのにね。

*1:この分類は今日新しく知った。