街とその不確かな闇

・宝塚のビデオを見る。
花組公演『エリザベート』(2002年11月)
映像作品にしてしまうとさすがに限界がある。
舞台芸術の唯一にして最大の見所、それは視線・動線の不意なる交錯である。
初めて行った東京劇場で教わったこと。


=○=


エウ゛ァンゲリオンの初期シリーズを大学のビデオ・ライブラリーで見る留年者というのが如何にもすぎて気が引ける。


=○=


最後のフランス語、小林Y夫先生になった(笑)
還暦間近になっても「教養」に立ち向かっていく姿勢、それはそれで壮絶だと思う。
砂を噛むような…僕は逃げ切ります。
今度こそ。


=○=


スター・システムとネットワーク・システムの違い。
21世紀初頭の鍵概念。


=○=


決めた。
今週末、みんなで浜離宮に行きましょう。
台湾料理→台湾広告展→あの辺の展望台を完全制覇→水上バスで浅草に移動→もんじゃかどぜうか、美味しいもん食べてまったり
という、ベタなルート。
行きたい人はメールください。
晴れたら行きましょう。


=○=


「女の子っぽさ」を求めて代官山を放浪。
撃沈。
自分の今のスタイルも見えてないのに、人にすすめるものなど買えるはずもない。
ハリランも今回あんまりで、頭が痛くなって西郷山へ逃げ込んだ。
女の子っぽさって…寒いよ。


=○=


・『私たちが住みたい都市』
山本理顕のセレクト・ワークショップ以外の何物でもない。
話が噛み合っていて中身のある対話になっているのが松山巖×上野千鶴子だけ、というのが笑えない。
八束はじめ×西川祐子など、話が噛み合っていない上、はっきり言って何の意味もない。
「全部分計画可能性」なんて、こいつら図面いじれば「私たちが住みたい都市」が出来上がるとでも…嘘だろ。
ニュータウン地域よりスプロール地域のほうが現象学的には面白いかもしれないね。

自分の暮らした「混住社会」というのは一体何だったのだろうか。
宮台真司など読んでいたら、昔のことが浮かんでしまった。


=○=


孤独なキツネ。狐。
何食べてんだろ?
草食系なら自分と同じだ。


=○=


ニュータウンの憂鬱、ロードサイドの憂鬱、どちらが憂鬱なのか、今のところ誰も教えてはくれない。

深夜の国道沿いで同級生の少女が運ばれていくのをただ待っていた、1999年10月の出来事。
勢いだけで買ったマールボロの匂い。
不可触なものへの遠い眼差し。
そのとき僕ら中学生だった。


それきり、知らない。