サンクチュアリィ


凡庸や愚鈍は、そこここにあふれている。
他人と異なってあろうとする態度を凡庸といい、他人と同じようにあろうとする態度を愚鈍という。
クラシック音楽の素養を積んだ芸大生とかが、くだらないポップソングと200年前の宮廷音楽しか知らないのを見ると、ばかじゃねぇの?って思う。え?天才少年の末路は地元の中学教師ですか?
凡庸や愚鈍から逃れられないのは、自分が凡庸で愚鈍だから。
なんなら自分を楽しませることができるものを自分で作ればいいのだ。
たくさんの人間の行為について「だから何ですか?」と思うと、ほんと、生きることから逃げたくなる。
今週は、わざわざ誘ってくれた企画を6つも断って、別段なにをしたわけでもない。
花見も他人の就活相談も北海道の土産話も、MITに進学するやつの自慢話も、別に、どうでもいいと思って、着エロの表現技法の洗練をずっと追っていた。それだけ。
もっと大人にならなきゃいけないだろうと言われるだろうけど、「会いたかったYes!」なんて言って結婚式余興を盛り上げるようなやつらが大人なら、そんなのどうでもよくて、愚鈍だと思う。
直下型地震が起きて生き埋めになって死ぬのも、なかなか甘美な物語かもしれない。
自分がこの社会とうまく折り合いをつけて生きられなかったことの言い訳くらいには、なるかなと思う。