ばかになる。ときがきた。


たとえば、福岡の地下鉄七隈線あたりにある実家から、大学の友人たちを車に乗せて、ちょっとしたドライブがてら海の中道海浜公園へ出かけて、バーベキューでもするか。って感じ。
小さな島。僕らの街。波よせて。はじけてく。
何も起こらんだろって。諦観と、何か起こるかも。って高揚感が組み合わさっている。
ラップのようなものと、コーラスのようなものとあわせて、BGMのような音楽。
世田谷に住んでいた頃よく聴いていた。
んで。
3か月に10日くらいの周期で、何も考えたくなくなるときがある。
推理小説の1行を読むのも、つらくて投げ出しちゃう。
音楽も映画も旅も同様、めんどうになる。
それを見るために言葉をつなぎあわせなくてはならないから。
あたまいい人は、こんなことにならないんだろな。
こういうときの自分は、テレビゲームをやり込んでいる。
コンピュータ相手に自分の腕を試してみる。
しかし、そこには相手の感情がない。
あんまりやっていると虚しくなってくる。
だから本当は、むだ話をするのがいちばんいい。
とはいっても自分のように暇な友達なんていないから、結局、知っている音楽を繰り返し聴くとか、そういうことになる。
んで。
中学校とか懐かしいなあって思う。
他の人はどうだか知らないけれど、自分にとっては、死に物ぐるいでばかになるような場所だった。
なんか色々やっていて自分の時間がなくて、3年間で3冊しか本を読まなかった。
知的な娯楽なんて何ひとつなかった。
その代わり、むだ話は色々したなあ。
たとえば、かわいい女の子を前にしてぎこちなく流れる時間とか、わけわかんない人の言動を見てることとか、そういったものが面白かったのだろう。
話はゆっくり蛇行していく。
今なら「ああ、あれね」って類型化してすましてしまうような、あれやこれやの感情。
んで。
明日しんでもいいなあ。って思いながら、のらりくらり過ごして10年目くらいになる。
今日も何千回目かの同じような感情が飛来して、しばらくして去っていった。
朝だっ。