それでも「一般理論」を!?

(今日はグロテスクですね。子供の性とか考えたくない人は読まないほうがいい。)
高校生のとき、二クラス・ルーマンの『社会システム理論』を初めて読んだ。読んだけど、何が言いたいのかわかんなかった。
そもそものきっかけは、高校1年くらいのとき。宮台真司を読んでいて、『制服少女たちの選択』なんか、泣きそうになりながら連尺町の谷島屋3階の椅子にすわって鬱々と読んでいたのだが、テレクラとか援助交際とか、凄い内容が書いてあって、しかし、周囲にいた高校の同級生の人々*1を見渡しても「性の商品化」なんて実感されず、むしろ中学2年の頃に同級生だった不登校気味の女の子*2が、小6のときに初体験して、今も家の前にいろんな男が迎えに来てホテルに行く話を、自慢話か打明話かわかんない感じでほのめかしてくれたときのこと、*3しかし自分は家に帰って、その話から妄想してオナニーしてしまったこと、そこから性的なことがすべて汚らわしく思えて、個人的な肉体的処理のほかには何もできなくなったこと、などが思いかえされた。
宮台の著作には「ルーマンの社会システム理論によると・・・」という言葉がたくさん出てきて、しかしその内実は宮台本を読んでもよくわからず、こうなったら自力で調べるか、ということを思い立ち、学校の帰り道の中央図書館に行った*4
同じルーマンでは、『社会の法』は何が言いたいのかわかった。東大法学部の井上達夫せんせいのとこで法哲学やろうと思った。高校2年生のときは、法学部に入りたかったのだ。日本の文系最難関。俺のルサンチマンを全部引き受けて逆転ホームランにしてくれる教育機関
でも模擬試験を受けたら、法学部では「D判定(見込薄)のいちばん上」なのに経済学部では「B判定(受かるかも!?)のいちばん下」だったから、何かしらの縁を感じて、経済学部を受けた。それで、受かった*5。まぁ、安易だったわけだなぁ。後悔とか無いけど。
そして、今。社会学よりの嗜好で経済学部にいて社会数理*6をやりながら肩身の狭い思いをしている。*7
なんかね、社会を分析するのに、「マクロデータ」とか「資本主義と社会主義」とか「価格理論における大域的安定性」みたいなドグマ的な非現実的な話ではなく、「家計」とか「人生の岐路での選択」みたいな、もっと人間の実感に近いレベルで学問できないのだろうか。それがまともだと思うのだが・・・

*1:男女の区別は結構曖昧だった、気がする。めっちゃ「リア充」に見えたテニス部の「スガ」君が大学に入ってから「はっせ」を彼女にしたら高校時代たのしかったよなぁ・・・みたいなこと、言ってた。

*2:彼女は上州に嫁入りしたらしい。

*3:「忸怩たる思い」と言いたいのだが国語辞典を調べたら意味が違った。

*4:お城のまえにあったやつ。これ読んでる高校の友人は、きっと、このかんかくはわかるまい。僕の場合、あすこでは中上全集をパラパラ読んだり、運動会をさぼって川端全集をパラパラ読んだり、ミシェル・フーコー全集をパラパラ見たりしたから、お世話になったのだ。

*5:もし東大に落ちたら後期試験で東京芸大の芸術学科に行って美術評論家になろうと思ってた。なんという浅はかな進路決定・・・

*6:典型的にはこの3つ。つまり、統計学計量経済学ゲーム理論と社会シミュレーションだね。僕の場合、宮台みたいに現実を直視するのが辛すぎて、数学に逃げたのだ。

*7:東大でも慶應でも早稲田でも(一橋や東工大はわかんない。)、そこらへんの経済学部や商学部にいる人が、もしも現代経済を勉強して商社や銀行に入る、というライフコースに嫌気が差して、しかし学問的な関心を生涯失わずにいたい、というところにアイデンティティを措いた場合、選択肢は3つになっちゃう、と思う。数学(ゲーム理論ミクロ経済学の動学的最適化、計量経済、金融工学etc.)へ逃げるか、歴史(経済史・貨幣史というあの広大なフロンティア!)へ逃げるか、学説史(マルクスとかスミス。)に逃げるか。今は「数学に逃げる」こと(金融工学とか)がクールとされているようだ。僕も乗っかってみた。・・・もっかい人生やり直しができて、高校時代に「もてない俺」を埋め合わせるための妙なプライドでATフィールドを張ってしまった、あの壁を取り去ることができたなら(つまり一生わかり合えると思える恋人がいたなら、という意味ですかね。わかんないけど。)なら、早稲田の文学部に入るなぁ・・・あの雰囲気の良さは憧れだ。