大野秀敏『シュリンキング・ニッポン』

「拡大」と「縮小」

日本の都市を50年単位で考えると確実に人口減少をこうむる。1世紀単位で考えると、環境問題のために物質的成長が難しくなる。縮小が避けられないのであれば、それを逆手にとって災いを福とする策がないかどうかを探ることも必要であろう。(p.6)

☆世界的にはマルサスの言ったような「拡大」が起きるでしょう?

一般的傾向として、生活が豊かになり、子供を育てるコストが高くなり、女性の自己実現の欲求が高まると出生率は低下する。(p.8)

☆本当に?根拠は?(→人口学)

物質的成長がなくても活力を失わない社会は可能か?(p.10)

a.縮小がもたらすもの

1.増える不在地主
都市の拡大に対応して伸びきったインフラは管理もされず放置されているであろう。不便な郊外からは経済的に余裕のある層が都心に逃げ出し、採算割れした公共交通網を抱えた郊外には行き場のない低収入層が取り残されるであろう。かつて地元の商店街を一掃した大型スーパーはさっさと店を閉めるから日々の生活に困る地域が広がる。こうした生活インフラの崩壊は、単純な人口減による採算割れだけでなく、経済規模の縮小、税収入の減少などが追い討ちをかける。(p.11)

b.都市の縮小を好機に変える戦略とは?

1.あるものを使う、現状を否定しない

縮小の時代の発想は、200年持つ建築を新たに作るのではなく、今ある建築ストックをせめて50年使えるようにする技術を開発すること。(p.16)

2.課題と処方箋は、場所ごとにユニークであること

3.部分からの発想と全体への責任

これまでの都市計画の法体系、手法、実行組織、建築関連の法規、デザイン思想など、いずれも20世紀に形成されたものであり、膨張を前提にでき上がっている。具体的にいえば再開発、区画整理、ニュー・ディール政策、ハワードの田園都市構想、ル・コルビュジェの現代都市構想など、いずれも地価の上昇、需要の無限上昇を前提としているが、このような手法は現代ですら立ち行かなくなっている。日本の建築基準法は増築や改修をしにくくし、新築を奨励し、改修をしがたくしている側面がある。(p.16)

c.ファイバーシティ構想

1.竹内直文(国交省)との対談

マスタープランの限界が意識されはじめたのは85年前後。
都市でスポット的に大量の遊休地が発生。
工場や倉庫などの産業用地、国鉄民営化により鉄道用地が空いてきた。
バブル期だったため、都市開発の動きが・・・マスタープランとスポット的な土地利用転換の齟齬。
もともと工場や鉄道ヤードだったため、道路などのインフラが不十分。
→再開発地区計画制度により、個別地区の計画変更を大幅に許容。

☆そもそも、実効性のある都市計画があったのか?

2.吉見俊哉との対談

都市計画の構成原理を、構造力学(硬い境界)から流体力学(やわらかな境界)へかえる。(p.60)
播磨坂のような断片がいい。
東京には富裕者層の住宅街がない。→グリーンフィンガーを高級住宅地に。(p.65)

☆どういう意味で?田園調布は?

アジアの都市のグローバリゼーションは、マンハッタニズム。既に(建築様式としては)末期的な状態。(p.71)

第2部 14の実践

日本の都市風景は政令指定都市クラスの都心部の都市的風景と、それ以外の場所の郊外風景に再編成されつつあるといってよい。(p.100)

日本では、残念ながら小さな伝統的集落での生活は共有されたイメージとしては働かない。文化的意味づけを失った形態だけを無理してモデルに仕立て上げようとしても、せいぜいテーマパークにしかならない。(p.102)

1.三谷徹(ランドスケープデザイナー)

☆僕はどちらかというと憂鬱な考え方をする人だから、というより常に最悪の状況を見通して行動する性格だから、ポジティブ・マインドの人とはやっぱり感じているものがちがう。たとえば、都市計画の人から「緑地」は良いものだと言われても、僕の場合、怖いという印象がやっぱり強くあって、単に「気持ち良いアイテム」としては考えらんない。個人的な思い出では、実家の表には茶畑があって、裏には手入れの行き届いていない竹藪があったから、植物の繁茂した場所には蛇や毒虫がうようよしている、という気がするのだ。庭で遊んでいたら蜂に刺されたこともあるし、謎の羽虫が家の中に大量発生することもあったし、家の庭には柿や柚子やドクダミと一緒に毒キノコが生えていたし、庭には痩せ細った野良犬や野良猫がけっこう来たし、毎年かならず1匹はムカデが出て廊下を這い回っていたし、音楽なんか聴いていてふと見ると巨大な蜘蛛が天井にはりついていたし、隣家の竹林の地下茎(リゾーム)が塀の下をくぐって実家の敷地にまで這い出してきて、うちの庭に竹の子が出たときには、放っといたら建物の下にも竹がにょきにょき生えてきて基礎とか柱とか傷んで家がつぶれるんじゃないかと焦ったし、そんなことが日常だったから、間近にある森は、けっこう怖かった。むしろ、好きだったのは、公園の中にあった野球場として開発されたけど特に用途もなく草原のようになっていた場所。幼い頃はホトケノザという植物の名前を誰かに教えてもらって、うれしくて摘んでた記憶がある。大きくなってからは、星が綺麗だったから、大きな声でギターなんか鳴らして歌ってた。そいえば、この辺の感覚は、こないだ『テイルズ・オブ・シンフォニア』というSFCのゲームをやったとき思い出した。同シリーズの2009年に発売されたものには、この薄気味悪さはなくなっていた。以上の、 自然はそのままではぜんぜん人間にとって「清潔」「フレンドリー」な場所ではないという感覚、でも人の手を入れれば何とかなるという感覚が、僕の中には人に言いづらいものとして抜きがたくあって、そいえば、うちの祖父も庭師のような仕事やってたなぁと思い出して、ちゃんとした文献でこの手の記述を初めて見つけた気がして、うれしかった。

生活圏と緑地の間には、管理放棄地、資材・廃棄物置き場、森林内不法投棄地という、実は大きな荒廃地が広がる風景を想定しなければならないのである。(p.106)

緑地の管理がしばしばうまくいかないのは、緑地は一方的に享受するものではないという意識、緑地は変容し制御を要するものという認識、これらの欠如が背景にある。都市経済のタイムスパンと植生のタイムスパンのずれがその原因であることが多い。森林など安定した植生の実現には数十年から数百年のスパンを要し、ツタ類の繁茂など好ましくない植生の管理には月単位の常時臨戦態勢が求められる。(p.106)

古今の名園などは単体として鑑賞されがちであるが、それは決して都市と無関係ではない。(例:ヴィラ・デステ)(p.108)

→三谷徹『庭園と都市』

2.石川初(ランドスケープアーキテクト)

コンパクトシティ」という方法は、今後ますます減少する限られたリソースを、限られた土地に寄せ集めることによって都市を都市として維持する戦略である。だから撤退した後の空地には放置してもある程度の水準の秩序系が維持される土地利用が都合よい。だが、緑が安定して持続的に自立生成する「動的平衡状態」を獲得するには、かなりの時間と規模が必要であるし、そのような状態を意図的に出現させるにはむしろ、相当に周到な計画と維持管理が必要になる。おまけに、私たちが好ましく感じる緑の風景は多くの場合、必ずしも原生林的な自立した緑ではなく、「里山」のように、長年にわたって人の手が入った、一定の撹乱によって成立している生態系によってつくられているものである。(p.112)

☆下水道普及率という指標で都市化の水準を比べるのはナンセンスだと思う。たとえば、スプロール化した郊外とか山間部に下水道の整備をするのは愚の骨頂ではないか?しかも人口が減るというのに!?

3.林純一(ベネッセ老人ホーム営業責任者)

住み慣れた街で老後を過ごしたいという需要にこたえるため、ベネッセの老人ホームは住宅地の中にある。

5.太田浩史(建築家、東京ピクニッククラブ)

ピクニックに「屋外での平和な食事」というイメージが定着するのは1840年代以降のイギリスで、鉄道と休日制度が整備されてからのことである。(p.159)