共同幻想。

恋人がほしいのです。
漠然としたイメージとして考えているのは、自分という存在は風に舞う布切れのようなものだということ。
そして、その端を引っ張ってくれる誰かがいたら・・・ということ。
どのくらい共感を得るものか知らないが、というのはつまり、適応できる範囲が「近代人」なのかもう少し狭いのか知らないが、「世界のなかの存在として、人はとても不安定な状態におかれている」という感じがする。
たとえば、こういった不安を宥めてくれるひとつの縁として親きょうだいという存在があるのだろう。
しかし、私の場合は、親から電話がかかってくるたび、頭が痛くなってしまい、孤独を痛感させられる。
うちの親は、ものを知らない。
韓国ドラマ大好きな母と、自己啓発本しか読まない父。
ひるがえって私が、なんでこんなに知識に対して依存症なのかというと、たぶん、何かを知っていることって、布切れに対する「重石」、船に対する「錨」のようなものだな、とつよくおもうから。不安定な存在を「何かを知る」ことによってつなぎとめておかないと生きていけなくなってしまう。

あ、電話と自転車を新しいのにしました。すいすい動いて心地よいです。