機械:入力(時間)→出力(効用)

たとえば、人間が一回性の時間を主な燃料として駆動し、効用の最大化を目的とする機械だとすれば、時間の効率的な使い方は生産性の向上にとって大事な要件であることになる。
現代の都市において、この定式によって生きる人は、しばしば「遅れ」の感覚にとらわれる。
同じ時間を活用する効率が他の人より悪いことを実感したときだったり・・・
それは、たとえば「貪欲さ」を旨とするアイドルの、こうした言葉のなかに典型的だ。

怖いなぁ人生てなぜ一度しかないんだ!!
3回くらいコンティニューできたらいいのにね
でも一度しかないから輝く
もろくてはかないから幸せを深く感じる
(http://blog.excite.co.jp/shokotan/2873184/)

物象化論の構図は、結局のところ、人間行動にこうした関数を導入することから既に始まっているのかもしれない。
「出力」の対象に何をおいても*1、それを是が非でも最大化させようとするフェティシズムが生まれる(貨幣の物象化など)。
「入力」に何をおいても*2それが失われることへの不安が起こる(過ぎてゆく時間に対する不安など)。
「遅れ」の思考―ポスト近代を生きる
ゲームとフィクションの違いを考えていたら、こんなところに行き着いた。

*1:数量が無限なもの(貨幣など)のほうがわかりやすい

*2:数量が有限なもの(時間など)のほうがわかりやすい