想像上のロジスティックス。

このごろ仕事を探すために東京各地を出歩いているのだが、説明を聞くたび「人に使われるだけじゃん」と萎え、全くやる気が起こらず、体裁よく音響効果をまじえた映像を見せられると、途端にうるうるして感激の辞をのたまうたくさんのBoys & Girlsに出くわし、そのたびにココロが折れ、活動は難航し、連日小学校からの友人と飲み歩いている。
神奈川に住みたいねぇ、近いところ、距離にして20歩くらいのところに住もうねぇ、という話をした。
僕らきっと、持ち家も車も所帯もきっと、持つことはないだろうから。
(http://www.youtube.com/watch?v=nOpNmcKTeQM&feature=related)
と、いうことで今日は趣向を変えて、美大予備校を見てきた。
デッサンと言語哲学だけは、大学にいるうちに一度きっちり学びたいと考えている。
世界の見方・あらわし方が誤魔化しのきかないかたちで露出する媒体を通すことによる「恥辱」の体験によって、「見立て」の基盤を作っておきたい。
そのほかのこと、たとえばマクロ経済とか法律とか、そういったものは、後からどうにでもなる気がする。
文学や歴史、個別の外国語にいたっては、個人的な趣味の問題だ。
まぁ、それで行ってみたのだが。
「過度の期待は禁物だよ、どうせ学校のようなものだから」との忠告を受けて行ったところが、まさにその通りだった。
学校・病院・監獄は、「近代」における僕の苦手な3大インスティテューションであることを、否応なく思い出す羽目になった。
「単一の目的」にドライヴされた場所。その「目的」への疑念が挟まれることはない。
(「役所」が含まれていないことに注意。ただし、苦手な場所はそのほかにもいっぱいある。カルト教団施設とかマクドナルドとか公衆便所とか)
東京芸大○人合格!!」とか書いてあって、それは僕の求めているものとは異なるなぁ、と思った。