カーネーション / Edo River

=○=

・夏の朝の成層圏
寝覚めのわるい朝、どうしたらいいんだ。
「昼の顔」を作れないで、どうやっていきてくつもりだ!?
顔面に向けられた敵の拳が、つるつると滑っていくような、変幻自在な「昼の顔」を。
砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 上 (単行本コミックス)砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 下 (2)
この夏のうちに伊藤清の確率論がわかるようにならなかったら、死んでしまおう。
確率論の基礎 新版

=○=

・東京から少し離れたところに。
ことによるとあと10年くらいしたら、江戸川の東側に住んでる、かもしれない。
彼女さんなんかいなくなっていて、独り者で、犬なんか飼って。
愛犬の名前は「アイス」。
ちょっと安易だけど、昔読んだ古川日出男の小説からとった。
河原を走るときの凛とした表情・・・
飼い主が死んだら、山奥へ逃げ延びて猛々しい野犬になってほしい。
・・・
しかし、本当にそんなふうなら、とんだ親不孝者だ。
両親を捨てて、郷里を捨てて、親になる責任から逃げて、さらに普遍性への志向まで捨てたら、いったい何が残るのか・・・
努力したい。

=○=

・話したくなんかない。
「話してごらん、話せば楽になるから」
そんな言い方をよく使う人々・・・彼らはまともにものを考えているのだろうか。
他人に心の内側を見せる筋合いはない。
単に「ふん、ふん」なんて相槌を打たれたとして、虚しくなるだけじゃないか。
何も具体的な解決策を、とまでは言わない。
別の説明図式なり問題を相対化する何らかの解釈なり、何かが必要なのではないか。
「聴く」ことの力―臨床哲学試論
鷲田清一は、少なくとも「聴く、それだけでいい」という説明を新たに導入した。
二番煎じは通じない。
・・・
いや違うんだ、俺が悪いんだ。
聴く覚悟すらないんだ。
相手の「砂糖菓子」の中に踏み込む覚悟がないんだ。
撃てる実弾なんて持っちゃいないのだから、それは臆病ということなのだ。

=○=

・色には「美醜」がないのではないか?
かなりあやしげな仮説。
・・・
「目が悪いことって、嫌なものが目に入らないからいいね」
という会話から、ふと思ったこと。
「嫌なもの」は色なのか形なのか、ぼんやり考えてみた。
視力が悪いことで見えづらくなるのは、色より形なのではないか、とふと思った。
・・・
すべての視覚イメージは色と形によって構成される。
(ただし、聴覚イメージにおけるリズムと音色のように、残余のない形で言挙げできているか、には疑問が残る)
とすれば、視覚イメージにおいて美醜をわかつものは何であるかと考えたとき、「色のみ」「形のみ」「色と形」「どちらでもない」という4つの可能性が現れる。
このとき、「どちらでもない」を排除することは容易にできる(視覚イメージの美醜を判断できることを仮定するなら・・・)。
また、「色と形」は同じ仮定のもとで排除不能だ。
では、「色のみ」はどうだろう?あるいは「形のみ」は?
「視力が悪いことで見えづらくなるのは、色より形」だとしたら、美醜の判断のもとになる要素は、色より形、ということになる。
そうすると、「色のみ」と「形のみ」を比べた場合、「形のみ」のほうが美醜の判断に強く関係する、ということになる。

これに解釈を加えると、
1. それぞれの色は別々の感情に結びついている
2. すべての感情は認めるべきものである
3. それぞれの色は(どんな感情につながっているとしても)美醜判断の埒外に置くべきものである
という、人間の心理を規定する潜在的な構図が、浮かび上がってはこないだろうか?
カント全集〈8〉判断力批判 (上)