三島由紀夫『夏子の冒険』

夏子の冒険 (角川文庫)

夏子の冒険 (角川文庫)

お嬢様かつ絶世の美女・夏子が函館にある修道院に入ろうとする冒険に、周囲が巻き込まれていく話。
登場人物がコミカルでいい。
あぁ、来月あたり、また函館に行きたいな。

透明で公正な日本政治。

審議会資料(インプット)と国会審議内容(アウトプット)を一元化して、みんながもっと政治をよく使いこなせるメディアがあったらいいのに、と思う。
まずは、審議会資料。
こんなにたくさん審議会があっては、どうしたものか、全くわからない。
(http://www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/990524singikai.html)
いちばん簡単な方法としては、審議会サイトをRSSに全部乗っけて公開する、ということになるかな。
IT関係は情報の入りが悪いので、もっといい技術があったらおしえてください。
問題は、国会審議。
毎日主要新聞を全部読む、というのが良さそうだが、そんなに暇も金も頭もない人はどうしたらいいか。
役所の側ではなかなか手を打てないだろう。
完璧な情報公開をやろうとすると、生中継や議事録全文公開になってしまい、見るのにものすごい時間が掛かる(現にそうなっている)。
逆に、あまりばっさり要約すると、偏向情報ということになってしまう。
やるとしたら、どこかのメディアが専用サイトを立ち上げるくらいか。金にはならんのだろうな。
本当は、NTTドコモのように技術力と資金力のある会社がこういうのもっとがんばればいいのに。
テレビ通販を300億円で買い取る、とかいう素晴らしい投資ではなくてさ。
(http://s03.megalodon.jp/2009-0407-0412-52/it.nikkei.co.jp/mobile/news/index.aspx?n=MMITfe000006042009&landing=Next)

もしも株主がうるさいなら、それこそドコモがNTT株を全部買い取ってしまえばいいのにね。
NTTの今の時価総額が約6兆として、1/3が政府保有分だから、残りは4兆あれば、買い取れる。
(http://www.ntt.co.jp/ir/shares/digest.html)
(http://stocks.finance.yahoo.co.jp/stocks/detail/?code=9432)
NTT法のもとでドコモがNTTの株を2/3押さえることで、ドコモに何が出来るのかは未確認なのだが・・・法律勉強しなければね。
ドコモの大株主はNTTで、6割ちょっと持っているので、単純に言ったら、NTT丸ごと買い取ることで、ドコモは自社の株主総会で4割の影響力を行使できることになる。
(http://www.nttdocomo.co.jp/corporate/ir/stock/overview/index.html)
NTTグループの財務戦略にはムダが多い印象があって、いろんな意味で興味深い。
数年前の「iモードの海外展開での2兆円損失発生」とかね。
(http://japan.cnet.com/interview/story/0,2000055954,20075227,00.htm)
ケータイ代から暴利むさぼりとって、こういうしけたことやっているうちに、この国は終わってしまいますよ、ほんとに。
(http://www.nttdocomo.co.jp/corporate/csr/social/index.html)
やるならこのくらいのことやってほしい。
(http://www.worldcommunitygrid.org/index.jsp)

「安心社会」と「信頼社会」

社会心理学という分野は、エーリッヒ・フロム含め、多くはまやかしだと思う。
だって、僕の理解の範疇では、仮説に対してまともな証明の手段がないから。
原理としては「風が吹けば桶屋は儲かる」の真偽を調べるとき、始点と終点の関係だけを、つまり「風が吹くこと」と「桶屋が儲かること」の相関だけをとって証明したことになってしまうんでしょ?それって、インチキではないか?
今は状況が変わったということなら、誰か教えてください。
とはいえ、この記事は少しだけ面白かった。
まやかしも多いけどね。
(http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090403/190984/)

ところが、今の日本を見ると、判定者のスキルが足りないために、社会全体では騙す方に有利なところでバランスを取れているのではないか、という気がしています。

僕がいま、仕事が見つからなくて困っている理由が明快に書かれていた。
つまり、「安心の半分こわれた低信頼社会」で生きるための社会性、というより順応性が足りないんだろう。
この社会ではきたない仕事をしないと生きていかれない、と言われてもきたない仕事をする気はないし・・・という本心が毎度、見破られているのだろう。